大阪万博以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:27 UTC 版)
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では、会場までのシャトルバス運行を担当、これは創業以来の輸送人員と収益を計上、経営状態は大きく好転した。京阪自動車は1972年4月1日付で社名を京阪バスに変更した。 1970年以降、京阪電鉄沿線のベッドタウン化により、住宅団地が次々と建設され、京阪バスと京阪宇治交通は積極的に団地路線の新設を行なった。その後も、京阪電鉄沿線のフィーダー輸送の役割を果たしていくことになる。なお、1988年には高速バス事業に、1994年にはリムジンバス事業に参入している。また、京都府南部の路線については1999年に京阪シティバスとして分社化した。 2000年代に入ると、京阪グループ内全体での事業再編成が行なわれた。まず1999年には京阪宇治交通宇治営業所の事業を京阪宇治交サービスに譲渡、2002年に京阪宇治交通の子会社として設立された京阪宇治バスが、2003年に京阪宇治交サービスのバス事業を引き継いだ。さらに、2004年には京阪バスシステムズが統括会社として設立され、2006年には京阪宇治交通は分離子会社の京阪宇治交通田辺も含めて京阪バスに合併となった。ただし、京阪宇治バスと当時存在していた京阪宇治交サービスとの合併は行わなかった。 2014年4月に京阪宇治バスが京阪シティバスを吸収合併する形で統合し、社名を京都京阪バスに改称した。
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