大阪万博で文字を描く
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「ブルーインパルス」の記事における「大阪万博で文字を描く」の解説
1969年(昭和44年)12月、日本万国博覧会協会からブルーインパルスに対して、日本万国博覧会(大阪万博)の開会式上空における展示飛行の要請があった。 当初、展示飛行の内容についてはブルーインパルス側に任されていた。この当時のブルーインパルスは飛行技術面や組織面でも安定した時期で、実力のあるパイロットも揃っており、自主的な研究によって "EXPO'70" という文字を描くことになった。早速訓練を行ない、万博協会の関係者が浜松基地を訪れた際に訓練中の文字を見せた 結果、本格的にプロジェクトとして進められることになった。これは五輪を描くよりも困難であった が、1970年(昭和45年)1月12日には浜松基地上空で "EXPO'70" の文字を描くことに成功した。 一方、万博の会場からわずか8マイルの地点に大阪国際空港があるため、大阪航空局からは「飛行の承認はできない」と通告を受けた。これに対し、万博協会からも陳情を行なった結果、1970年2月中旬には飛行許可を得ることができた。 開会式当日の1970年3月14日、浜松基地を出発したブルーインパルスは、万博の会場で4課目のアクロバット飛行を行なった後、2分30秒かけて会場上空に "EXPO'70" の文字を描いた。その後、同年6月29日の「ジャパンデー」にも同様に文字を描いている。閉会式当日の同年9月13日に万博会場上空で、当初「サヨナラ」の文字も描く予定だったが当日は曇り空だったため「描けない」と判断し航過飛行のみを行う。
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