大阪万博と「平和の鐘」
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「日本の平和の鐘」の記事における「大阪万博と「平和の鐘」」の解説
日本の平和の鐘がニューヨークの国連本部に設置された後、中川千代治はその鐘を通じての平和活動を開始。1961年の米ソ冷戦下のキューバ危機の際には、アメリカとソ連の大使館を訪れ、「少しの思いやりと笑顔で世界平和が保たれる」というメッセージと共に、大使館を通して「日本の平和の鐘」の姉妹鐘として4kgのレプリカを、ケネディ大統領とフルシチョフ首相に渡した。 また、1970年の大阪万博では、世界中の人達が集まるこの機会にこそ『日本の平和の鐘』の存在を広く伝えたいと、当時の国連事務総長、ウ・タントに申し入れ、ニューヨーク国連本部から大阪の万博会場に『日本の平和の鐘』を里帰りさせた。 なお、その折に、国連本部の鐘楼が空にならないようにと、改めて同じ鐘を鋳造して国連本部に設置し、万博終了後、ニューヨークに返還された『国連平和の鐘』と入れ替えた。 現在、万博記念公園に設置されている『平和の鐘』は、そのとき国連本部の留守を守った鐘である。万博に合わせて千代治は、日本の平和の鐘と同じコインや貨幣の入った、重さ1kgの鐘のレプリカを150個作り、ウ・タント事務総長と、世界140カ国の大使館を訪問して、それぞれの元首あてに寄贈した。
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