大植民時代とは? わかりやすく解説

大植民時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)

ギリシャの歴史」の記事における「大植民時代」の解説

ギリシャ人ギリシャ外へ進出始めており、地中海、黒海至るところへ約200年わたって入植、このことから「大殖民時代」とも呼ばれる。この殖民には領土拡大するという目的だけでなく、ポリス社会において政争発生した時に敗れ去った党派殖民を行うといったようにポリス内での争い避け役割果たしていた。この殖民シチリアイタリア南部マグナ・グラエキア)、リビアフランス南部にまで至っており、ギリシャ人地中海全体活動していたと考えられる。しかし、これら広範囲にわたる殖民にもかかわらずギリシャ人たちは共通する文化忘れことなくギリシャ人自身がもつ文化民族意識形成契機となった信仰についてヘロドトス述べるようにポリス固有の神(アテナイアテーナーサモスヘーラー)を祭ったアクロポリス中心にギリシャ全土信仰される神(ゼウスなど)への信仰共有しており、このギリシャ全土信仰される神が祭られ箇所オリュンピアデルフォイネメア、イストミアであった。なお、オリュンピアではゼウス祭られており、紀元前776年ごろ、第1回オリュンピュアが開催され紀元前7世紀ごろまでにはギリシャ世界全てのポリスから参加者が集まるようになり、全ギリシャにおける聖域(パンヘレニック)の地位確立させた。一方デルフォイにはアポロン祭られており、神託を伺うようになったのは前8世紀頃と推測されている。この神託ギリシャだけでなくリュディアペルシアでも知られており、周辺居住するアンフィクティオニア隣保同盟)が管理していたことが紀元前5世紀資料明らかになっているが、このアンフィクティオニアにはテッサリアフォキスロクリスボイオティアなどギリシャ北西部人々ドーリスイオニア人々参加、エトノスを形成していたとされるポリスではアテナイスパルタ突出した存在であるが、これ以外のポリスは文字資料少なく発掘活動中心にその内容研究続いている。以下で一部ポリスについて解説する

※この「大植民時代」の解説は、「ギリシャの歴史」の解説の一部です。
「大植民時代」を含む「ギリシャの歴史」の記事については、「ギリシャの歴史」の概要を参照ください。

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