大村 (東京都)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/22 07:09 UTC 版)
おおむら 大村 |
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大村地区の街並み
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廃止日 | 1952年4月28日 |
廃止理由 | サンフランシスコ講和条約発効 大村、扇村袋沢村、沖村、北村、硫黄島村 → (廃止) |
現在の自治体 | 小笠原村 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京都 小笠原支庁 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 3,469人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 | 扇村袋沢村 |
大村役場 | |
所在地 | 東京都大村 |
座標 | 北緯27度05分40秒 東経142度11分31秒 / 北緯27.09439度 東経142.19192度座標: 北緯27度05分40秒 東経142度11分31秒 / 北緯27.09439度 東経142.19192度 |
ウィキプロジェクト |
大村(おおむら)は、東京都小笠原支庁管内にかつて存在した村である。
地理
現在の小笠原村父島の北部、兄島、弟島等に位置する。現在は小笠原村役場、二見港が所在し、小笠原諸島の中心地となっている。
歴史
沿革
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 父島への町村制の施行に伴い発足。
- 1943年(昭和18年) - 東京都制を施行。
- 1946年(昭和21年)1月29日 - GHQよりSCAPIN-677が指令される。このSCAPIN-677によって小笠原諸島全域における日本の施政権が停止され、アメリカ軍の直接統治の下に置かれる[1]。
- 1952年(昭和27年)4月28日 - サンフランシスコ講和条約発効により、大村は日本政府の行政から分離され廃止。アメリカ合衆国の施政権下に置かれ引き続きアメリカ海軍管理となる。これに伴い各村役場は廃止され、役場の一般事務は東京都総務局行政部地方課分室で行われる。
- 1968年(昭和43年)6月26日 - アメリカ合衆国軍から返還、本土復帰すると同時に、小笠原支庁の全域をもって東京都小笠原村となる。
変遷表
1940年 以前 |
昭和15年 4月1日 |
昭和27年 4月28日 |
昭和43年 6月26日 |
現在 | |
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大村 | 大村 | サンフランシスコ講和条約 発効により廃止 |
本土復帰 小笠原村 |
小笠原村 |
人口
総数 [単位: 人]
1885年(明治18年) | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
1937年(昭和12年) | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
交通
港湾
- 二見港
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978年、ISBN 4040011309
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
関連項目
「大村 (東京都)」の例文・使い方・用例・文例
- 私、大村食品株式会社の常務取締役の遠藤と申します。
- 私、株式会社大村電子の顧問の高橋と申します。
- 大村市という市
- 1人は北(きた)里(さと)大学特別栄誉教授の大村智(さとし)氏(80)である。
- 大村氏と,米国のドリュー大学の科学者であるウィリアム・キャンベル氏が,寄生虫感染症に対する薬物療法の確立に関与する発見により受賞した。
- 大村氏は東京の北里大学で記者会見を行い「成功するまでに何回失敗するかは決してわからない。研究を続けて,失敗がいつか成功に役立つと信じることが必要だ。」と話した。
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