大平・福田との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 05:59 UTC 版)
その後、政治の一線からは離れ、五島昇の誘いで東急建設に入社し要職を歴任する。この時期にも数名の政治記者は伊藤との連絡を絶やさず政界の内情について伝えていたが、その一人にNHK記者の島桂次がいる。この間も、前尾繁三郎と大平正芳の宏池会会長引き継ぎの仲介などもしていた。 1971年に大阪転勤の辞令が出ると大平に引き留められ、五島のはからいで東急建設社長付調査役という役職となり、東京勤務のまま宏池会会長補佐役を兼ねて大平のアドバイザーとなる。以降、大平総裁の実現に尽力し、いわゆる大福密約による福田赳夫内閣の誕生においても暗躍した。福田政権期は引き続き大平の相談役を務める一方、福田の希望で非常勤の内閣調査員に就任し、福田と大平との連絡役を務めていた。福田が約束に反して総裁再選出馬したことで、大平の総理就任前後より宏池会や大平家から伊藤も白眼視されるようになり、大平自身とも一時疎遠になったこともあった。しかし結局は大平の最期まで仕え、死の前日の大平から病室に呼び出されてもいる。東急建設入社後の伊藤の動きについては、『自民党戦国史』に詳しい。
※この「大平・福田との関係」の解説は、「伊藤昌哉」の解説の一部です。
「大平・福田との関係」を含む「伊藤昌哉」の記事については、「伊藤昌哉」の概要を参照ください。
- 大平福田との関係のページへのリンク