大坂での記述よりとは? わかりやすく解説

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大坂での記述より

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 02:50 UTC 版)

日東壮遊歌」の記事における「大坂での記述より」の解説

多くの船が)一斉に行き来する様は驚くばかりの壮観である。その昔楼船で下る王濬益州称えた詩があるが、ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう流れ両側には人家が軒を連ね漆喰塗りの広い塀にはの背のような大きい家を金や紅でたくみに飾り立てているが、三神山金闕銀台きんけつぎんだい仙人住処のこと)とは、まことのこの地のことであろう本願寺に向かう道の両側には人家が塀や軒をつらね、その賑わいのほどは我が国の鍾絽(チョンノソウル繁華街)の万倍上である。 館所に入る、建物宏壮雄大我が国宮殿よりも大きく高く豪華である。 我が国都城の内は、東から西にいたるまで一里といわれているが、実際に一里及ばない富貴な宰相でも、百間をもつ邸を建てることは御法度屋根全て瓦葺にしていることに 感心しているのに、大したものよ倭人らは千間もある邸を建て、中でも富豪の輩以って屋根葺き黄金以って家を飾り立てている。その奢侈異常なほどだ。 天下広しといえこのような眺め、またいずこの地で見られようか。北京見たという訳官が一行加わっているが、かの中原中国)の壮麗さもこの地には及ばないという。この世界も海の向こうよりわたってきた穢れた愚かな血を持つのような人間が、周の平王のときにこの地に入り今日まで二千年の間世の興亡関わりなくひとつの姓を伝えきて、人民次第増えこのように富み栄えているが、知らぬは天ばかり、嘆くべし恨むべしである。 この国では高貴な家の婦女子が厠へ行くときはパジズボン状の下着のこと)を着用していないため、立ったまま排尿するという。お供のものが後ろで、絹の手拭き持って立ち、寄こせと言われれば渡すとのこと聞いて驚きあきれた次第

※この「大坂での記述より」の解説は、「日東壮遊歌」の解説の一部です。
「大坂での記述より」を含む「日東壮遊歌」の記事については、「日東壮遊歌」の概要を参照ください。

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