大地震両川口津浪記とは? わかりやすく解説

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大地震両川口津浪記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 23:41 UTC 版)

大正橋 (大阪市)」の記事における「大地震両川口津浪記」の解説

詳細は「大地震両川口津浪記」を参照 大正橋の東詰め広場には「大地震両川口津浪記」と言う自然災害伝承碑設置されている。これは1854年嘉永7年安政元年)の安政南海地震の後に発生し大阪襲った津波被害教訓記した石碑で、安政2年7月建立された。碑文には「嘉永7年(1854年)、6月14日午前零時ごろに大きな地震発生し市中一統驚いた同年11月4日朝にも大地震発生し地震恐れて舟に乗り避難した翌日夕方にも大地震発生し津波おしよせた。被害状況は・・」と具体的な被害状況述べ地震発生した津波がくることを心得ておき、舟での避難絶対してはいけない。また建物壊れ火事になる。なによりも火の用心」が肝心津波というのは沖から波が来るだけではなく、岸近くから吹き上がってくることもあり、津波勢いは、普通の高潮とは違う」と細かい注意書き残すまた、148年前(数え年、満147年前)の1707年宝永津波でも同様の事態発生し2万人以上の犠牲者出たとの記録存在し過去教訓生かせなかったことを悔やみ後世の人が同じ被害受けないよう、「つたない文だが、ここに書き残す願わくば心ある人は、文字読みやすいように毎年墨を入れなおし、後の世伝えていってほしい」と刻まれており、記述通り毎年の盆に地域有志によって墨入れが行われている。

※この「大地震両川口津浪記」の解説は、「大正橋 (大阪市)」の解説の一部です。
「大地震両川口津浪記」を含む「大正橋 (大阪市)」の記事については、「大正橋 (大阪市)」の概要を参照ください。

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