多目的ドーム建設を求める市民運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 23:08 UTC 版)
「多摩市」の記事における「多目的ドーム建設を求める市民運動」の解説
多摩市では1980年代から多目的ドームの建設を求める市民運動が展開されている。 多摩センター球場構想(1980年) 1980年、建設中の多摩中央公園内に、ドーム型の「多摩センター球場」(5〜7万人収容、総建設費約220億円)を建設する構想が一部で持ち上がった。この構想を推進したのは、元多摩市議会議員、多摩市商工会会長の横倉舜三(1982年より多摩ニュータウンタイムズ社主)で、横倉は市民400〜500人の署名を添えて、球場の建設を求める陳情書を市に提出した。臼井千秋市長もこれに同意した ものの、市議会の同意が得られず計画は白紙となった。この計画に代わり建設されたのが複合文化施設「パルテノン多摩」である。 多目的ドーム構想(1993年以降) 1993年2月、多摩市立総合体育館において、サッカー協会、体育協会、商工会などの有志が「多摩市にJリーグを呼ぶ会」(朝倉泰行代表)を発足させた。同会は、誘致希望チームとして読売ヴェルディ(現・東京ヴェルディ1969)の名を挙げ、多摩センター北側の都有地(未利用地、約16万平方メートル)に最低3万人収容の多目的ドームを建設する構想を提唱した。1997年には、同地が住宅建設用から公益施設用に変更されたことを受けて活動を本格化させ、複数の企業から出資を募って第三セクター方式で開閉式の多目的スタジアムを建設したいとの考えを示した が、具体化には至らなかった。2003年、同会は「東京多摩ドーム建設準備室」と名称を改め、京王プラザホテル多摩において、その報告会を行った。
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