夙川教会の創立とは? わかりやすく解説

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夙川教会の創立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 15:36 UTC 版)

シルベン・ブスケ」の記事における「夙川教会の創立」の解説

第一次世界大戦中1914年大正3年)、神戸領事館動員令によって従軍することとなり、フランス帰国した数年後日本戻り兵庫県西宮市教会建てるように司教から命じられた。1921年大正10年)、ブスケ神父が、兵庫県西宮市土地借りて阪神間初となるカトリック夙川教会創立して2年後には、現在の教会のある土地購入して聖堂建てたその後本格的な聖堂建設して1932年昭和7年)にネオ・ゴシック様式による現在の聖堂完成したブスケ神父は更に女子修道院建設構想立ててはいたが、この計画実現しなかった。 ブスケ神父聖体対す信心深く毎日早朝起きて3、4時間聖体前に跪いて黙想をしていた。カトリック夙川教会では毎朝2、30人信者ミサ与って聖体拝領した。 「総て事業には犠牲の裏付けが必要であるから夙川聖堂建設にも犠牲捧げられなけれねばならない」とブスケ神父語っていたが、その後敗血症罹って重態となった。マルモニエ神父は「主よ、ブスケ師は本当に立派な信徒であります何とぞ彼をすくって、私を身代わり死なせください」と祈りその結果ブスケ神父回復したが、マルモニエ神父ミサ司式中に急逝した治療のために輸血が必要となり、日本人信徒競って自らの血を提供したが、神父は「今や私の肉体日本人血を受け日本人となった」と喜んだという。 病から回復してから休養のために北海道北斗市トラピスト修道院行きその後フランス一時帰国した。約1年後日本戻り関目教会3、4在任してから再び北野教会主任司祭となった

※この「夙川教会の創立」の解説は、「シルベン・ブスケ」の解説の一部です。
「夙川教会の創立」を含む「シルベン・ブスケ」の記事については、「シルベン・ブスケ」の概要を参照ください。

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