夙妻太夫の悲話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:42 UTC 版)
「東福寺 (国分寺市)」の記事における「夙妻太夫の悲話」の解説
当寺には、鎌倉御家人の畠山重忠と遊女の夙妻太夫の悲話が伝わっている。遊女で絶世の美女である夙妻太夫は、彼女のところに通い詰める畠山重忠と次第に深い仲になっていた。畠山重忠は平家追討のため西国に赴くことになり、夙妻太夫は重忠を待ち続けていた。ところが夙妻太夫に横恋慕していた男が「重忠は壇ノ浦で死んだ」と噓をついた。夙妻太夫は悲嘆のあまり、姿見の池に投身自殺してしまった。村人たちは夙妻太夫を哀れに感じ、墓の側に松の木を植えて「傾城の松」と名付けた。するとその松は、西へ西へと伸び、葉も一葉だけしか付いていなかったという。そのため、この松は別名「一葉松」ともいう。現在の松は三代目になる。 現在、当寺は地名が「恋ヶ窪」であること、夙妻太夫の悲恋が伝えられていることから、境内に「恋の鐘」を設け、恋のパワースポットとして積極的に宣伝し、専用のサイトまで設けている。
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