変身キリン時代とは? わかりやすく解説

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変身キリン時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:02 UTC 版)

須山公美子」の記事における「変身キリン時代」の解説

関西パンク草創期1979年本田久作(ほんだ きゅうさく)が結成したニュー・ウェイヴバンド「変身キリン」に参加キーボードボーカル担当するオリジナルメンバーにはのちにINU経てザ・スターリン参加した北田昌宏がいたが、北田はライブデビュー前に脱退している。同年9月14日、ライブデビュー。同年11月27日同志社大学至誠館開催されライブ関西NOW WAVE」に出演変身キリン含め関西を拠点とするパンクバンド9組が出演した当時日本のインディーズシーンについては「日本のパンク・ロック#1970年代(パンクムーヴメント以後)」を参照 変身キリン本田個人ユニットという色彩濃くメンバー流動的であった1980年2月INU町田町蔵立ち上げたインディーズ・レーベル「必要レコード」からリリースされオムニバス・アルバム『ドッキリ・レコード DOKKIRI RECORD』に変身キリンとして3曲参加参加バンドINUULTRA BIDEALCOHOL 42%、変身キリンCHINESE club当時関西パンクシーンでは阿木譲のヴァニティ・レコードを除けば最初期自主制作盤で、第2弾企画もあったものの立ち消えとなった。このオムニバス・アルバムCD化されていない須山変身キリン並行して1980年からロックバンドHappy Band」を結成同年4月には変身キリン脱退したが、翌1981年には「Happy Band」を解散して変身キリン復帰し同年5月16日には変身キリンとして法政大学学館ホールでのライブ出演同年夏には変身キリン再度脱退本格的にソロ活動開始した。 After Dinner少年ナイフ、ルナパーク・アンサンブル、Ché-Shizu(英語版)などを輩出した京都インディーズ・レーベル「ゼロレコード」(Zero Records/ZERO COMMUNICATIONS京都市伏見区深草下川原町32)から、1982年変身キリンの3曲入りEP8月4日に』がリリース須山脱退後であったゲスト参加した2003年インディーズ・レーベル「いぬん堂」からCD再発)。 須山脱退後本多活動拠点東京へ移しその時期の音源2003年に『その後変身キリン』としてCD化された。2004年発売されライブCD2004年変身キリン アノン探せ!』には、すでに音楽活動から離れ文筆業移っていた本田参加していない。なお「アノン」は本田自称していたニックネームである。

※この「変身キリン時代」の解説は、「須山公美子」の解説の一部です。
「変身キリン時代」を含む「須山公美子」の記事については、「須山公美子」の概要を参照ください。

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