基金会を創設
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1966年に、弟子の徳融の父が病気になったので鳳林鎮の病院に見舞いに行き、そこで、血の跡を見た。周りの人に聞くと、豊浜の少数民族の女性が運ばれてきたが、手術の保証金(前払い金)が支払えないため、再び担がれて帰郷したとのこと。 その後、海星中学校の教員をしていた3人のキリスト教の修道女が通りかかり、彼女らと意見交換をした。その中でキリスト教では社会奉仕活動をしているが、仏教ではどうかと問われ、個人の修練に身を置き、団体で活動することが余りない、当時の仏教界の状況を省みた彼女は震撼した。 彼女は信者に竹筒を渡し、毎日買い物代金から5毛銭を喜捨するよう求めた。月に1度にしないのは、日々善行をする心を育てるためである。 この年の3月24日に、正式に「仏教克難慈済功徳会」が誕生した。信者や弟子希望者が多かったので、彼女はやむを得ず弟子を取らないという誓いを放棄した。そして次の2つの規定を定めた。 信者は慈済功徳会の会員になること 会員は、会の社会奉仕活動に参加すること 設立当初は、普明寺の境内で、手工芸品を手作りしたり、救援物資を配送したりしていたが、狭かった。そこで彼女の母親がお寺に隣接した1甲5分の土地を購入して寄付し、一堂を建立して「静思精舎」と名付けた。 この頃、会員の協力の下、月刊誌「慈済月刊」を刊行し、「慈済委員」(女性会員)「慈誠」(男性会員)制度を始めた。
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