地方選挙の勝利と院内進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 08:07 UTC 版)
「民主労働党 (韓国)」の記事における「地方選挙の勝利と院内進出」の解説
創党直後に行なわれた2000年4月の第16代総選挙では議席を獲得することは出来なかったが、2002年6月の地方選挙で、基礎自治団体長で2名、広域自治体議員では地域区で2名、比例代表区では自由民主連合を上回る8.1%の得票率で9名の当選者を出すことに成功した。そして、2004年の第17代総選挙では、比例代表区へも投票ができるように制度が改正されたこともあって、議席獲得に成功、一気に第3党に躍り出た。第一共和国の進歩党が弾圧され消滅して以来、韓国では派閥のような政党が人脈により離合集散を繰り返してきた。民主労働党は、政策を基にした政党であり、従来の韓国の派閥政党とは性格を異にする。また、ほぼ時期を一にして盧武鉉が大統領に当選し、ウリ党を結成するなど、韓国政界の左派色が強まった感がある。 議席獲得以前の民労党は、単なる反体制団体と見做され、街頭デモは厳しく規制されたが、議席を獲得した途端、それまで民主労働党規制の指揮を執っていた治安担当者が民主労働党本部を訪れ、予算成立に関して協力を依頼したという。 2005年の北朝鮮訪問の際、北朝鮮の国立墓地に当たる愛国烈士陵の芳名録に「あなた方の愛国心を末永く心に刻む」と記し国内で物議を醸した。また、北朝鮮の行事に出席して拍手するなどの行動が、北朝鮮の主張に同調していることになると批判を受けている。 2006年10月31日、文成賢(ムン・ソンヒョン)代表を始めとする北朝鮮訪問団が訪朝し、歓迎晩餐会に参加した他、金日成の生家である万景台の訪問を行った。民労党は「平和のメッセンジャー」の役割を果たしたと主張するが、国内では北朝鮮の「操り人形」になったとの批判もある。
※この「地方選挙の勝利と院内進出」の解説は、「民主労働党 (韓国)」の解説の一部です。
「地方選挙の勝利と院内進出」を含む「民主労働党 (韓国)」の記事については、「民主労働党 (韓国)」の概要を参照ください。
- 地方選挙の勝利と院内進出のページへのリンク