地域住民による仔魚流下調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 05:05 UTC 版)
「宇川のアユ」の記事における「地域住民による仔魚流下調査」の解説
1955年(昭和30年)から約30年間に及んだ京都大学の生態調査と並行し、川那部浩哉及び長崎大学の東幹夫の呼びかけにより、地元の中学校や高校の教諭・瀬川信一及び伴浩治らで結成された「宇川アユ研究グループ」による流下仔魚調査が1977年(昭和52年)にはじまった。宇川で生まれた天然アユが海に出る際に採捕しその数を数えたもので、既存の研究で明らかになっていた「産卵場直下では19時前後に仔魚流下が最も盛んになる」ことを参考に、仔魚の流下数のピークと流速をもとに産卵場所やその状況を明らかにし、地域での教育に活かすことを意図した調査である。この調査はその後20年間続けられ、毎年9月から12月のアユの産卵期に週に1回、宇川河口域で仔魚を採捕して数を数え、その総数を推定した。 宇川のアユの産卵場は、京都大学の1956年(昭和31年)の調査で5か所確認されていたが、その後、上流の小脇や川久保付近の山崩れで土砂が宇川に大量に流入したことから、付近の産卵場の環境変化が懸念されていた。1980年(昭和55年)から1981年(昭和56年)にかけての研究グループの調査では、河口付近の車野を下限として、宇川橋堰堤防付近までの範囲の4カ所で産卵場を特定し、宇川橋より上流2カ所に産卵場と推測できる地点を算出した。産卵保護のため、1928年(昭和3年)の記録では宇川橋から下流は10月1日以降、2021年(令和3年)現在は中瀬橋から下流は9月20日以降、禁漁区に指定されている。
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