国際労働会議の開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 01:27 UTC 版)
「国際労働会議代表反対運動」の記事における「国際労働会議の開催」の解説
ワシントンでの会議においては、友愛会からの要請によりアメリカ労働総同盟(AFL)のゴンパースが桝本の資格を否認して委員会での審査を要求した。これに対し、日本側は必死の工作を行い資格否認を免れたが、大いに国際的面目を損ねることになった。会議では、使用者代表の武藤山治が労働事情についての日本の「特殊事情」を強く主張し、総会は彼に従い日本の劣悪な労働条件(最低就労年齢12歳、15歳以上の週57時間労働、生糸職工の60時間労働制など)を特例として承認してしまった。会議中、桝本はこの「特殊国」扱いなどに反発して日本政府との対決姿勢をとったが、それはそうでもしなければ「労働者代表」として無事には帰国できないだろうというせっぱ詰まった心情によるものであった。また労働者側からの国際会議への直接の働きかけに際しては、片山潜ら在米日本人社会主義者団(いわゆる「アメ亡」組)が貢献した。
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