国連代表委員
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「シャーリー・テンプル」の記事における「国連代表委員」の解説
1969年から1970年にかけ、アメリカ合衆国の国連大使を補佐する6人の国連代表団に加わり1969年は首都ワシントンのメイフラワーホテルで開かれた国際連合第24回総会に出席。担当は環境、青少年、人権に関わる問題である。 これらを課題とする多くの国際会議で1970年から1974年にかけてアメリカ代表を務め、まもなく持ち前の勤勉さと人間的な魅力で「アメリカ外交の秘密兵器」といわれるほどの優秀な外交官になる。演説の原稿はすべて自分で書いており、日本の一部の情報源には国連で武力によるベトナム戦争の解決を主張したとあるものの国連で演説したのは宇宙の平和利用と環境問題と難民問題についてのみである。中華人民共和国と友好的な立場をとり国連加盟を強く主張、アメリカ政府の首脳部に公式の請願書を送るなど働きかけをした。やがて中華人民共和国の国連加盟 (1971年) と米中国交回復が実現していく。 当時アメリカと国交のなかったエジプトで会議に出席したとき、サダト大統領 (在職1971年9月2日 – 1981年10月6日) が突然現れ、自分はファンだ、彼女が主演した『ハイディ』の映画フィルムが欲しいと言った。大統領は自ら「(イスラエルとの) 平和を心から望んでいる最初のアラブの指導者だ」と述べた。シャーリーはこの発言をすぐキッシンジャー国務長官に伝え、帰国後すぐ『ハイディ』の映画フィルムを贈った。やがてアメリカとエジプトの国交回復を経て、1978年、ジミー・カーター大統領の仲立ちでイスラエルとエジプトとの和平が成立する。
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