国王の鉄工場、炭鉱、化学工場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 10:10 UTC 版)
「ホジュフ」の記事における「国王の鉄工場、炭鉱、化学工場」の解説
18世紀の終わり頃、地元の教会の牧師が瀝青炭の鉱床を発見したことから、新しい工業がホジュフ地域で発達した。1791年から1797年にはプロイセン国営王立炭鉱(Kopalnia Król, Königsgrube, 後に何度か政治上の変化により改名されている)が造られた。 1799年に王立鉄工所(Królewska Huta、Königshütte)で最初の銑鉄が作られたが、これは当時、ヨーロッパ大陸でも先駆的な事業であった。鉄工所は1819年の時点では4台の溶鉱炉から成り、1,400tもの銑鉄を生産した。1800年代には、現代のリンドグニア亜鉛精錬所(Lidognia)が新たに加えられた。鉄工所は1871年、持株会社Vereingte Königs- und Laurahütte AG für Bergbau und Hüttenbetrieb社に買収され、製鉄所、レール工場、工作所が新たに加えられた。1870年には「伯爵夫人ローラ炭鉱」が王立炭鉱の近くに開かれ、1913年から1914年の石炭の採掘量は1年につき100万tまで増加した。1898年に火力発電所が建設されたが、これは1930年代頃には100MWの発電量があったポーランドで最も大手の発電会社であった。今日でもこの発電所は「ELCHO」として稼働している。 1915年、近くに窒素化学工場(Oberschlesische Stickstoffwerke、オーベルシュレジシェ・シュティックストフヴェルケ)が建設され、新発明の手法(ハーバー・ボッシュ法)で空気・水・石炭から肥料と爆薬を作り出した。この工場は今日でも「Zakłady Azotowe社」として動いている。
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