国木田独歩の描いた武蔵野とは? わかりやすく解説

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国木田独歩の描いた武蔵野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:50 UTC 版)

武蔵野」の記事における「国木田独歩の描いた武蔵野」の解説

国木田独歩『武蔵野』1898年明治31年)、発刊当時作品名は『今の武蔵野』)はその名のとおり武蔵野主題とし、その風景美と詩趣描きつくした著名な随筆作品で、後世の“武蔵野イメージ”の形成多大な影響与えている。国木田渋谷村一角に居を置き、みずから毎日のように出かけては東京近郊逍遥し、そうして過ごした実感体験もとづいて『武蔵野』書き上げた作中、「昔の武蔵野萱原のはてなき光景をもつて絶類の美を鳴らしてゐたやうにいひ伝えてあるが、今の武蔵野である」とあるが、この「林」とはすなわち、薪炭供給源としても重要だったいわゆる里山雑木林のことであり、国木田都市からそう遠くない人間生活圏と自然が入り交じる田園地帯として、新時代の“武蔵野”を描き出そうとした。彼はまた次のようにも書いて武蔵野個性唯一性を強調している。 武蔵野除いて日本にこのやうな処がどこにあるか。北海道原野にはむろんのこと、奈須野にもない、そのほかどこにあるか。と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこのやうに密接している処がどこにあるか。 国木田は自らの見聞きした田園地帯情景描写するために筆をつくした次の一節には、彼が体感した“どこまでもひろがる武蔵野”の空間性がよく表現されている。 なかば黄いろくなかば緑な中に歩いてゐると、澄みわたつた大空々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末々々に砕け、その美しさいひつくされず。(中略武蔵野のやうな広い平原隈なく染まつて、日の西に傾くとともに一面火花放つといふも特異美観ではあるまいか。もし高き登り一目にこの大観占めることができるならこの上もないこと、よしそれができがたいにせよ、平原の景の単調なるだけに、人をしてその一部見て全部の広い、ほとんど限りない光景想像さするものである。その想像動かされつつ夕照に向かつて黄葉の中を歩けるだけ歩くことがどんなにおもしろからう。 友人示した武蔵野の範囲の定義”(前述に対して国木田は「自分は以上の所説にすこしの異存もない」と書き添えているが、しかしながら自身強調したのはやはり麦や大根の畑、桑の木畑、などの雑木林の目立つ屋敷林、ときに萱原見渡すかぎりモザイクのように混交してひろがりところどころ刻まれ谷戸の底には水田があるという、東京西郊丘陵地帯当時ひろがっていた田園風景であったこうした原風景は、その後都市化漸進により徐々に失われ今は面影残していない。なお、この丘陵地帯とは、現在では武蔵野台地などとも呼ばれているものである

※この「国木田独歩の描いた武蔵野」の解説は、「武蔵野」の解説の一部です。
「国木田独歩の描いた武蔵野」を含む「武蔵野」の記事については、「武蔵野」の概要を参照ください。

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