国木田独歩曽遊地・空知川畔文学碑
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「西出興業」の記事における「国木田独歩曽遊地・空知川畔文学碑」の解説
碑陰 余は今も尚空知川の沿 岸を思ふとあの冷厳なる自然が余を引きつけるやうに思う何故だらう 昭和31年9月26日建立。 赤平市長 遠藤勝太郎・議長 高江周三・教育長 田中吉人・寄贈者 西出喜一(西出興業創業者)。 所在地 北海道赤平市茂尻元町。 碑の寸法 碑身185センチ 横77センチ 奥行16.5センチ。 碑面の向き 東。 碑石の種類 碑身(仙台石)台石(十勝花崗岩)。 出典 「空知川の岸辺」。 揮毫者 青沼秀鳳(元岩見沢学芸大学(現北海道教育大学岩見沢校)教授)。 除幕年月日 昭和31年9月26日除幕。 碑の建立者 西出喜一。 碑の製作者 西出興業株式会社・山崎鶴吉。 あの冷厳なる自然が 根室本線茂尻駅から国道38号沿いに赤平駅に向かって15分程歩くと独歩苑と称する小公園がある。独歩苑からは、間近に雄大な空知川を見下ろすことができる。この苑内に国木田独歩文学碑は立っている。昭和24年、赤平町長三上貫一を中心に木碑が建てられ、次いで昭和31年赤平市初代市長となった三上、当時の教育長 田中吉人の間に、石碑建立の話がもちあがり、当時の教育委員長 西出喜一に依頼、健碑の運びとなる。独歩が空知川を臨んだと思われる、現在の独歩苑の場所が三上によって選ばれ、西出の経営する西出興業の手で現在の碑が建てられた。 撰文は、三上、田中により、岩見沢学芸大学教授 青沼秀鳳が揮毫した。また、健碑の性格を全市的なものにするため、碑陰には発起人として、当時の市長、教育長、議長の名前が寄贈者の西出の名前とともに刻まれている。
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