武蔵野の範囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:50 UTC 版)
武蔵野の範囲について明確な定義はないが、広辞苑によれば「荒川以南・多摩川以北で、東京都心までの間に拡がる武蔵野台地」であり、また広義には「武蔵国全部」を指すこともあるとされる。またたとえば、江戸後期に出版された『江戸名所図会』(後述)は、「南は多摩川、北は荒川、東は隅田川、西は大岳(たいがく)・秩父根を限りとして、多摩、橘樹、都筑、荏原、豊島、足立、新座、高麗、比企、入間等すべて十郡に跨る」と解説している。 1898年(明治31年)に国木田独歩は随筆『武蔵野』を著したが(後述)、この作品は後に広く愛読され、その後の“武蔵野観”に大きな影響を与えることとなった。作中、国木田は友人の言葉として以下のとおり引言し、武蔵野の地理的範囲の再定義を試みている。 武蔵野は先づ雑司谷から起つて線を引いて見ると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。此範囲の間に所沢、田無などいふ駅がどんなに趣味が多いか…殊に夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子は決して武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。此範囲の間に布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西半面。東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到つて止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があつて武蔵野に相違ないことは前に申したとほりである。 この国木田の記述によると、武蔵野の範囲は現在の東京23区西部と北多摩・西多摩、埼玉県川越市以南の中南部、神奈川県川崎市北部のごく一部ということが推測される。山手線の内側は武蔵野台地の端で、ギザギザなため坂が多く山の手と言われている。タウン紙やTV、不動産関係などでは武蔵野、三鷹、小金井、調布、狛江、西東京、東久留米、清瀬の各市を指すことが多い。
※この「武蔵野の範囲」の解説は、「武蔵野」の解説の一部です。
「武蔵野の範囲」を含む「武蔵野」の記事については、「武蔵野」の概要を参照ください。
- 武蔵野の範囲のページへのリンク