国外に散逸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 01:25 UTC 版)
「インペリアル・イースター・エッグ」の記事における「国外に散逸」の解説
ロシア革命が起き、軍に囚われたアレクサンドラ皇后の持ち物はペトログラードの宮殿に残され、ボルシェビキの逮捕を免れたマリア皇太后はイースター・エッグをひそかに持ち出した。ロマノフ朝の宮殿は荒らされて皇帝の持ち物や貴金属品は略奪に遭うものの、黄金の卵はピーター・ファベルジェの息子アガトン・ファベルジェに獄中で見積もらせた金額では買い手が付かず、数百ドルで換金されたと伝わっている。レーニンは宮殿に残った皇室の宝物を守ろうと、ペトログラードからモスクワのクレムリン武器宮殿に移送させる。革命成立のおよそ1年後、ボリシェヴィキがファベルジェ商会を国有化。 ヨシフ・スターリンは、外貨獲得の手段として1927年からいくつものエッグを競売にかけさせる。1930年と1933年には14点のインペリアル・イースター・エッグがソビエト連邦から流出、そのとき父を介してレーニンと人脈のあったアメリカの実業家アーマンド・ハマーがまとめて買い付けた (#リリアン・トマス・プラットの項を参照) 。ほかにも宝石商ウォルツキから派遣されたエマヌエル・スノーマン(英語)も競り落として国外に持ち出している。ウォルツキ(英語)はやがてロンドン随一の宝石商に成長し、ロシア革命から100年近く行方不明だった「3番目の卵」(1887年製) (英語)がアメリカで再発見された2014年、これを買い取り、個人コレクションに仲介している。皇室から動乱期に流出したイースター・エッグのうち7点は行方がわからず、1889年製の「小物入れ」(英語)、「デンマーク王国祝祭」(1903年製)(英語) と「亡きアレクサンドル3世をしのんで」(1909年製) (英語)の3点は写真が残った。
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