回想と批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 01:50 UTC 版)
クリールは後年、CPIでの任務についての回想録『我々はいかにしてアメリカを宣伝したか』を公刊。その中で次のように述べている。 委員会は検閲機関でも隠蔽または抑圧機関でもなかった。徹頭徹尾開かれた、肯定的な機関であった。言論の自由や表現の自由を制限した、これら戦時法の下で権力を模索したり行使したりすることも一切無かった。一切合切、徹頭徹尾、中断や変更無く、一般的な広報計画であり、販売手腕の面で巨大な事業であり、広告において世界最大の冒険であった。(中略)我々はそれを、ドイツ人の手により謀略や堕落と結び付けられることになった、プロパガンダとは呼ばなかった。我々の取り組みは教育的かつ有用な情報に富んでいた。我々の場合においては事実の簡潔かつ率直な説明ほど必要とされたものは無かったためである。 一方、ジャーナリストでウィルソンの助言者を務めたウォルター・リップマンは、クリールを厳しく批判。クリールがデンバーの警察委員会に所属していた時代、市民的自由を侵害していたとして批判的な論説を寄せたことがある。名指しこそしなかったものの、ウィルソンへ宛てたメモの中で、検閲は「寛容ではない人物にも、抑圧の歴史という愚行の長い記録を知らない人物にも決して託してはなりません」と記している。 リップマンは戦後、ヨーロッパにおけるCPIの任務について「基調としては騙され易さが付随する全くの自慢話の1つであり、疲弊したヨーロッパに裕福な野暮天がポケットを膨らませつつも、決して歓待されずに街へやって来るようになったと理解させるには十分であった」と批判。
※この「回想と批判」の解説は、「広報委員会」の解説の一部です。
「回想と批判」を含む「広報委員会」の記事については、「広報委員会」の概要を参照ください。
- 回想と批判のページへのリンク