善について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:35 UTC 版)
善については、神に対する自由意志による信仰が善であるとする見解から、奴隷のように絶対服従をするのが善であるとする見解までの幅がある。 ムスハフの神の啓示では、善いことをしているならば、来世はもっと良いものになるとする神の慈悲の福音的見解から、宗教そのものが、ギブアンドテイクを原則とする取引関係、商売のようなものであるとする見解まで、幅広く啓示されている。 また、取引ではない善いことの推奨としては、利他の心による調和の心が説かれている。最初期の啓示の中には、金もうけ主義の利己的な人々にはなるな、地獄に落ちるぞ、とする啓示があるので、利己的な生き方では、来世において、この世よりも良いところにいけないぞ、ということが言われていた。 メディナ期になると,最後の審判についての啓示は、ギブアンドテイクを原則とする取引関係、商売と表現されることが多くなっている。そのため、人間にとっての善とは、良い奴隷として、良い取引関係を維持することや、支配者(主)に絶対服従することであるとされている。 取引関係と関係があると思われることとして、メディナ期においては、人は皆、最後の審判まで、それぞれの魂を、神のお手元に担保として差し出していると啓示されている。
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