商業的な加工品の製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:55 UTC 版)
ハスカップの商業的な加工・販売も古くからおこなわれている。その始まりは1933年(昭和8年)に苫小牧市の沼ノ端駅前の商店「近藤待合」の近藤武雄が、周辺に自生するハスカップを利用できないか、と考案・販売した、「ハスカップ羊羹」と「ハスカップ最中」とされている。このうち「ハスカップ羊羹」は1936年(昭和11年)9月に陸軍特別大演習のため来道した昭和天皇に献上され、宮内省から表彰されている。また、1943年(昭和18年)には、ジャムやジュースの製造も開始されたが、太平洋戦争が激しさを増し砂糖の配給が途切れたことで、同年中あるいは翌年ごろ製造が中止されている。 戦後に入ると、1953年(昭和28年)に苫小牧市の菓子会社小林三星堂(現:三星 以下「三星」と表記)がロールカステラの表面にハスカップのジャムを塗った「よいとまけ」を考案し、その後当地を代表する銘菓となり、ハスカップの知名度を高めることに貢献した。今日ではその他、ジャム、ジュース、ソース、ワイン、リキュール、酢などに加工されているほか、菓子メーカー各社により、ハスカップ風味のグミ、ガム、キャラメル、チョコレート、アイスクリ-ム、ケーキ等が製造・販売されている。2018年(平成30年)現在では、ハスカップの出荷量88.3トンのうち、約4割に当たる35.9トンが加工向けとなっている。
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