商務庁調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 23:25 UTC 版)
「キンティンスヒル鉄道事故」の記事における「商務庁調査」の解説
事故に関する初の公式調査は、5月25日にカーライルのカウンティ・ホールで行われた。商務庁を代表して、鉄道検査官(英語版)のE. ドルイト中佐が調査を指揮した。ドルイト中佐はこの時点で、既に事故現場を訪問してしばらく調査し、さらにカーライルでもミーキンやティンズリーを含む証人たちに質問を行っていた。2人とも、規定に反した取り扱いや自分たちのだらしのない勤務について、正直に話した。ドルイト中佐は1915年6月17日に商務庁に報告を提出し、ミーキンとティンズリーに責任があるとした。 これゆえ、この悲惨な衝突事故は、信号扱い手の規律の欠如によるものである。まず、承認された時刻以外に勤務交代を行い、結果としてティンズリーが列車運行記録簿に記録を書き写す作業に集中して、本来の適切な業務から注意をそらすことになった。2点目に、ミーキンは勤務の引き継ぎを極めてずさんな方法で行った。そして3点目に、信号扱い手が列車の存在を忘却しても、事故の発生を防げるように、特別に考えられたいくつかの規則を実行することを怠っていた。 ドルイトはまた、規定55(英語版)を適切に実行しなかった機関助士のハッチンソン、そしてミーキンとティンズリーが行っていた不適切な勤務交代に気付けなかったグレトナ駅の駅長アレクサンダー・ソーバーンも批判した。 ドルイトはさらに、下り待避線に停車中の貨物列車の貨車が燃えたことから、たとえ衝突した各列車が電灯で照明されていたとしても、なお火災は発生しただろうとした。そして、キンティンスヒルに軌道回路が導入されていれば、継電連動装置の働きによりティンズリーが誤って信号扱いてこを引くことができなくなるので、事故は防げていただろうと結論付けたが、キンティンスヒル信号場は単純な線路の配置に加えて見通しも良かったことから、軌道回路導入の優先順位は低かった。
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