唐物の一手買い入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 23:47 UTC 版)
「薩摩藩の長崎商法」の記事における「唐物の一手買い入れ」の解説
薩摩藩は幕府に対して長崎での唐物販売の拡大を要請しながら、一方で琉球貿易で入手した唐物の一手買い入れを進めた。文化11年(1814年)、薩摩藩は琉球側に唐物一手買い入れを打診した。この要請を琉球側は断ったものの、薩摩側は再考を求めてきた。そこで琉球側は国王、摂政、三司官了承の上で各部署で協議した。その結果、琉球貿易は渡唐役者(対中国貿易に従事する役人)や船主たちに貿易で得られる利益の一部が得られる形で運営されているので、薩摩藩の一手買い入れは渡唐役者や船主たちの収入の道を閉ざすことになるとの理由で改めて反対した。琉球側としては貿易関係者のみならず、王府自体も入手した唐物を薩摩藩側が一手買い入れすることによって、買い入れ価格が抑えられることによる収入減を危惧していた。 文政元年(1818年)、長崎での唐物販売拡大が認められた後、薩摩藩は唐物一手買い入れを強硬に押し進めていく。同年12月には薩摩藩は唐物関係の業務を行う「唐物方」を設置した。翌文政2年(1819年)重豪は側近2名を鹿児島に派遣し、唐物販売の拡大について重豪の意向を伝えた。同年、琉球貿易で入手した唐物の薩摩藩一手買い入れが断行された。一手買い入れ開始に当たり、「唐物方」から唐物が間違いなく薩摩藩に買い入れられるよう監視する人材を琉球に派遣した。琉球側も薩摩藩からの人材派遣に伴う事務量増大に対応するため、該当部署の人員増が行われた。
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