唐滅亡から五代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/15 22:12 UTC 版)
唐は黄巣の乱によって致命傷を受け、実質上は滅亡した。朝廷の権威が衰え、天下は再び朱全忠・李克用らの藩鎮勢力が合い争う時代となる。 907年、朱全忠により禅譲劇が行われ唐は名実共に滅亡、五代十国時代へと入る。 北宋の太祖趙匡胤もまた後周の宋州節度使職にあり、後周皇帝より禅譲を受けて建国した。しかし趙匡胤は前轍を踏まぬよう、宴席で酒を飲みながら部下の節度使に引退を勧め(五代の戦乱を見てきた部下の節度使にとっても「配下の軍隊が自分を皇帝に擁立しようとすれば否応なく謀反人にされてしまう」という懸念は現実的なもので、趙匡胤の勧めに抵抗なく応じることとなった)、加えて新たに通判の職を置いて節度使の行政権を移管、最終的に節度使を名誉職とすることに成功した。
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