唐津電気について
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1910年7月末に合併した唐津電気というのは、合併前年、1909年7月4日資本金10万円で唐津町にて設立された電力会社である。唐津銀行(現・佐賀銀行)の頭取大島小太郎ら同銀行役員を中心に発起され、1909年5月に当局より事業許可を得た。その計画は、火力発電によって東松浦郡唐津町・満島村(現・唐津市)に供給するというものであった。社長となった大島以外にも、専務となった草場猪之吉など役員はいずれも唐津銀行の役員を兼ねた。 当時唐津には、唐津銀行と対立関係にある西海商業銀行という銀行があった。この西海商業銀行の役員である山村直太(頭取)や長谷川敬一郎らは、唐津銀行が火力発電による電気事業を計画すると、対抗して水力発電による電気事業である「七山水力電気」の設立を企画した。火力派(唐津電気)と水力派(七山水力電気)の両陣営は盛んに街頭演説や無料の演芸会を行い競って唐津町民に宣伝し、自陣営への取り込みを図った結果、やがて町内が火力派と水力派に二分されていった。そのため町では市民が自派ではない知人や商店を避けて暮らすようになったという。唐津町議会にも火力派・水力派の対立は波及し、電柱建設の許可をめぐり紛糾した。 唐津電気は対立の中で町内の船宮にて火力発電所の建設に着手するが、最終的に同社が町内20か所に街灯を寄付し向こう3年間無料で点灯すると約束して町内の騒動は一応沈静化した。そして1910年6月1日、唐津でも電灯の供給が始まった。ただし火力派・水力派の軋轢は簡単には収まらず、町内のある料理屋では水力派の客が来店すると電灯を消してランプを用意したという。なお火力派が開業した一方で水力派の七山水力電気は翌1912年に会社設立に至るが、資金不足で水力発電所の建設は実現しないまま1913年に広滝水力電気の後身である九州電灯鉄道に合併されている。
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