唐津電気についてとは? わかりやすく解説

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唐津電気について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:45 UTC 版)

広滝水力電気」の記事における「唐津電気について」の解説

1910年7月末に合併した唐津電気というのは、合併前年1909年7月4日資本金10万円で唐津町にて設立され電力会社である。唐津銀行(現・佐賀銀行)の頭取大島小太郎ら同銀行役員中心に発起され、1909年5月当局より事業許可得た。その計画は、火力発電によって東松浦郡唐津町満島村(現・唐津市)に供給するというものであった社長となった大島以外にも、専務となった草場猪之吉など役員はいずれ唐津銀行役員兼ねた当時唐津には、唐津銀行対立関係にある西海商業銀行という銀行があった。この西海商業銀行役員である山村直太(頭取)や長谷川敬一郎らは、唐津銀行火力発電による電気事業計画すると、対抗して水力発電による電気事業である「七山水力電気」の設立企画した火力派(唐津電気)と水力派(七山水力電気)の両陣営盛んに街頭演説無料演芸会を行い競って唐津町民に宣伝し自陣営への取り込み図った結果、やがて町内火力派と水力派に二分されていった。そのため町では市民自派ではない知人商店避けて暮らすようになったという。唐津町議会にも火力派・水力派の対立波及し電柱建設許可をめぐり紛糾した唐津電気対立の中で町内の船宮にて火力発電所建設着手するが、最終的に同社が町20か所に街灯寄付し向こう3年無料点灯する約束して町内騒動は一応沈静化した。そして1910年6月1日唐津でも電灯供給始まった。ただし火力派・水力派の軋轢簡単には収まらず、町内のある料理屋では水力派の客が来店する電灯消してランプ用意したという。なお火力派が開業した一方で水力派の七山水力電気は翌1912年会社設立に至るが、資金不足水力発電所建設実現しないまま1913年広滝水力電気後身である九州電灯鉄道合併されている。

※この「唐津電気について」の解説は、「広滝水力電気」の解説の一部です。
「唐津電気について」を含む「広滝水力電気」の記事については、「広滝水力電気」の概要を参照ください。

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