周辺の中世史跡とは? わかりやすく解説

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周辺の中世史跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:28 UTC 版)

大森城」の記事における「周辺の中世史跡」の解説

大森城のある南福島地域は、福島県県北地方では桑折町伊達市梁川町(旧伊達郡梁川町)と並ぶ中世史跡の宝庫といえる鎌倉から室町初期にかけての板碑数多く残るのは前述したとおりだが、その代表格は、大森城西方陽泉寺にある「下鳥渡供養石塔」と呼ばれる板碑であろう鎌倉時代後期建立で、その保存状態良さから国の史跡指定されている。また、城より南に約2kmの山中にある陽林寺伊達氏庇護厚く受けており、寺には伊達家文書伊達実元の墓が残されている。 文治5年1189年)の奥州合戦のときの阿津賀志山の戦い前哨戦石那坂の戦いといわれる合戦があったが、福島盆地南端福島市平石地区東側山中JR東北本線石那坂トンネル付近に石那坂古戦場碑がある。しかし、これは明治時代に、この場所から甲や刀剣などが出土したためにここを古戦場跡と勘違いした地元有力者建てたものであり、出土した甲や刀剣古墳時代のものであることが後年確認されている。したがって、石那坂古戦場が碑のある場所であるという根拠全くない。ただし、吾妻鏡記述地名などからこの近辺にあったのは間違いないだろう。石那坂の戦い戦功挙げたのは常陸入道念西伊達朝宗)と4人の息子であり、合戦後伊達郡与えられ彼の子孫が伊達氏である。また、大森城東山麓の城山観音堂信達三十三観音5番札所)には上杉時代城代芋川氏の墓がある。

※この「周辺の中世史跡」の解説は、「大森城」の解説の一部です。
「周辺の中世史跡」を含む「大森城」の記事については、「大森城」の概要を参照ください。

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