吉田甲子太郎とは? わかりやすく解説

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吉田甲子太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 04:53 UTC 版)

1948年時の近影(アサヒグラフより)

吉田 甲子太郎(よしだ きねたろう、1894年明治27年〉3月23日 - 1957年昭和32年〉1月8日)は、日本翻訳家英文学者児童文学者。筆名に朝日壮吉吉田夏村などがある。

略歴

群馬県生まれ。東京芝桜田小学校高等科、旧制立教中学校を経て、早稲田大学英文科卒業[1]

大学卒業後、母校、旧制立教中学校の英語教師となる[1][2]。大学在学中より山本有三に師事。朝日壮吉などの筆名を用い、中学教師のかたわら、『新青年』などに探偵小説を翻訳するが、1927年ころから児童文学に移行し、少年小説を書く。1932年、新設された明治大学文藝科で、科長となった山本の推薦で教授となる。戦後は明大文学部文学科長を務め、児童雑誌『銀河』の編集にも携わる。1947年、雑誌『少年』に『星野君の二塁打』を発表、1950年代から小学校の国語の教科書に、1970年代から道徳の副読本で、2018年道徳が教科になったのちも、規則の尊重、集団生活の充実というテーマで、2023年まで一部教科書でつかわれた。

1957年1月8日、胃癌のため死去、享年62歳[3]。1月14日、明治大学記念館で文学部葬が行われる[4]

吉田甲子太郎著、河目悌二画『兄弟いとこものがたり』1948年(昭和23年)

親族

弁護士で明大理事長の吉田三市郎(1878-1953)は兄。

著書

単著

編集

翻訳

脚注

  1. ^ a b 高瀬真理子,能地克宜,山口みなみ 他「「馬込文士村資産化事業」研究報告 - 3年間の活動を終えて-」『実践女子短期大学紀要』第34巻、実践女子短期大学、2013年3月、1-57頁、 ISSN 13477196 
  2. ^ 『吉田 甲子太郎』 作家別作品リスト:No.1258,青空文庫
  3. ^ 「吉田甲子太郎氏(明大文学部長)」『朝日新聞』1957年1月9日、3面。
  4. ^ 「吉田甲子太郎氏(明大文学部長)」『読売新聞』1957年1月9日、5面。

関連項目

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