合宿の計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 23:07 UTC 版)
「岡山地底湖行方不明事故」の記事における「合宿の計画」の解説
2008年阿哲台合宿の計画は、Dと山口大学洞窟研究会のOB(当時23歳)が中心となり、1月1日から6日の日程で立てられた。入洞希望調査の結果、日咩坂鐘乳穴を希望する者と、ゴンボウゾネの穴から本小屋の穴までの通り抜けルートを希望する者があり、各人の参加予定を考慮して調整を行い、日咩坂鐘乳穴には、2日と5日の2回入洞する予定とした。 また、5日は14名と参加人数が多いため、日咩坂鐘乳穴班と通り抜けルート班の2班に分けることにした。通り抜けルート班のチーフリーダーはD、日咩坂鐘乳穴班のチーフリーダーは香川大学現役生の女性O(当時24歳)が務めることとなった。 入洞希望調査や装備の買取りに時間が掛かったため、計画書が完成したのは12月30日のことだったが、内容は安全対策を考慮しないものだった。内容は合宿の目的、渉外先、名簿、日程のみで、入出洞時間やレスキュータイム、装備計画、在郷連絡先、緊急時連絡網などの記載はなかった。 また、愛媛大学、高知大学、香川大学、山口大学、広島大学、浜松ケイビングクラブ事務局の内、合宿の承認をしていたのはOが独自で作成し提出した計画書を受け取った香川大学のみで、他の大学及びクラブのメンバーは計画書の提出を行っておらず、緊急時の連絡先、在郷連絡先も定めていなかった。唯一Oの提出した計画書には入出洞予定時刻、レスキュータイム、緊急時の連絡先、在郷連絡先、入出洞の際に電話連絡を行う旨が記載されていた。
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