古河建純
古河建純とは、ニフティ株式会社の代表取締役社長である。1942年11月17日東京都生まれ。
慶應義塾大学工学部を卒業すると同時に、ニフティの親会社である富士通(当時は富士通信機製造)へ入社。ニューヨーク駐在員や基盤システム事業企画、パソコン・ミドルウェア・マルチメディア・ソフトウェア・ネットワークサービスなど、コンピュータに関連するソリューション事業に一通り携わってきたといえる。2000年に富士通常務取締役、翌2001年にニフティ副社長、更に翌年2002年に社長へ就任した。
古河建純は、目下ADSLが主流となっているインターネット接続事業に関して、いち早くファイバー・トゥ・ザ・ホーム(FTTH)へ傾注させるなど、先を見据えて力強く事業を展開していることで注目を集める。自社の提供するブログホスティングサービス「ココログ」が提供を開始した折には、古河建純はサービス開始当初より自らブログを立ち上げ、一般ユーザーとの距離を一挙に近づけてみせた。今日では、このテクニックはいわゆる「社長ブログ」として、今日では多くの企業の社長たちが実践しているところである。
(更新:2006年1月)
参照リンク
@nifty
古河建純 インターネットBlog
古河建純
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/25 01:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
ふるかわ たつずみ
古河 建純 |
|
---|---|
生誕 | 1942年11月17日(77歳)![]() |
出身校 | 慶應義塾大学工学部計測工学科 |
職業 | 実業家 |
古河 建純(ふるかわ たつずみ、1942年(昭和17年)11月17日 - )は、日本の実業家。古河財閥4代目当主・男爵・古河従純の四男。富士通取締役兼指名委員会・報酬委員会委員長[1]、ニフティ代表取締役社長を経て常任顧問。高校の同級生に雨宮肇・旭硝子副社長[2]。
経歴
- 1942年 - 東京都生まれ。
- 1958年 - 千代田区立麹町中学校卒業[3]。
- 1961年 - 慶應義塾高等学校卒業。
- 1965年 - 慶應義塾大学工学部計測工学科卒業。
- 同年 - 富士通信機製造株式会社(現・富士通株式会社)入社。
- 1991年 - 情報処理事業本部企画部計画部長、パーソナルシステム事業本部長代理。
- 1994年 - 取締役。
- 2000年 - 常務取締役。
- 同年 - ニフティ株式会社取締役。
- 2002年 - 代表取締役社長。
- 2007年 - 代表取締役会長。
- 2008年 - 常任顧問。
- 2013年 - 富士通株式会社取締役。
脚注
- ^ 指名委員会・報酬委員会人事について - 富士通
- ^ 『日経ビジネス』,第1153号,2002年,P186
- ^ 『古河従純君伝』,古河従純君伝編集委員会, 1971年,P.668
外部リンク
- 古河建純, 岩崎誠「インタビュー 富士通の戦略--古河建純取締役「@ニフティを活用、新しいビジネスを提案していく」 (総力特集 インターネットで再生した大企業の逆襲!!) -- (戦略立て直すメーカー)」『エコノミスト』第78巻第3号、毎日新聞社、2000年1月、 56-58頁、 ISSN 00130621、 NAID 40000244816。
|
|
|
固有名詞の分類
- 古河建純のページへのリンク