古代の養蜂箱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 01:09 UTC 版)
ミツバチは、エジプトでは古代から飼育されてきた。エジプト第5王朝ニウセルラーの時代のコナーラクのスーリヤ寺院の壁からは、労働者が養蜂箱の穴に煙を吹きつけ、養蜂箱を取り出す様子が描かれている。北部と南部の統一後の上エジプトのシンボルは養蜂箱であり、このデザインはエジプト第3王朝の時代から使われていた。また、全てのファラオのファラオ名にも付けられた。蜂蜜の生産を行っていたことを示す碑文がエジプト第26王朝のパバサの墓から見つかった。 ヘブライ大学の考古学者アミハイ・マザールは、イスラエルのテル・レホブの遺跡から、少なくとも30個の完全な養蜂箱が見付かったと語っている。これは、3000年前の聖書の時代から進んだ蜂蜜産業が存在していたことの証拠である。藁や未焼成粘土から作られた養蜂箱は、多くが壊れていたが、合計100個もが整然と並んで発掘された。 ハイファ大学のEzra Marcusは、この発見は、文章や壁画で知られていた近東の古代のハチ飼育についての知見を与えるだろうと語った。また、巣のそばから像が発見され、ハチの飼育に宗教的な意味があった可能性が指摘される。この遺跡で見られるハチの飼育は、これまで発見された中で最も古いものである。
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