古代のガラス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:18 UTC 版)
エジプトのアレクサンドリアで、宙吹きと呼ばれる製造法が紀元前1世紀の後半に発明された。この技法は現代においても使用されるガラス器製造の基本技法であり、これによって安価なガラスが大量に生産され、食器や保存器として用いられるようになった。この技法はローマ帝国全域に伝わり、ローマガラスと呼ばれるガラス器が大量に生産され、東アジアにまでその一部は達している。この時期には板状のガラスが鋳造されるようになり、ごく一部の窓にガラスが使用されるようになった。また、ヘレニズム的な豪華なガラスも引き続き製造されていた。しかしローマ帝国の衰退とともにヨーロッパでの技法が停滞した。一方、東ローマ帝国の治める地中海東部やサーサーン朝ペルシャや中国の北魏や南朝では引き続き高水準のガラスが製造されている。日本では福岡県の須玖五反田遺跡などで古代のガラス工房があったことが確認されている。 5世紀頃、シリアでクラウン法の原形となる板ガラス製造法が生み出された。これは一旦、手吹き法によりガラス球を造り、遠心力を加えて平板状にするもので、仕上がった円形の板を、適宜、望みの大きさや形に切り出すことができるメリットがあった。また、この技法によって凹凸はあるものの一応平板なガラスを製造することには成功した。
※この「古代のガラス」の解説は、「ガラス」の解説の一部です。
「古代のガラス」を含む「ガラス」の記事については、「ガラス」の概要を参照ください。
- 古代のガラスのページへのリンク