受洗後の活動
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1883年(明治16年)4月9日、露月町教会(現 日本基督教団芝教会)で安川亨牧師よりキリスト教の洗礼を受ける。李らの受洗がきっかけで朝鮮安息日学校が開設される。また、30人あまりの留学生により朝鮮人学校が設立される。李は東京滞在中い聖書研究会を設け、礼拝を守る。それらが、後に1908年(明治41年)の在日大韓基督教会の設立につながる。 1883年5月の東京新栄橋教会を会場として行われた第三回全国基督教信徒大親睦会に参加する。大会中の礼拝では朝鮮語で祈りを捧げ、日暮里の野外親睦会に参加した際漢文で、ヨハネの福音書14章を元に信仰告白をする。最終日5月12日午前8時に九段坂の鈴木真一の写真館で記念撮影をする。その記念写真では最前列中央に津田仙と並んで写っている。 修信使孫鵬九の後任として東京外国語学校(現、東京外国語大学)の教師に就任し、2年の任期で朝鮮語を教えた。また、在日中に東京外国語学校の教科書、学習教科書を含めて、漢文小説の日本復刊に参加するなどの著作活動をも行う。 翌年、1884年(明治17年)四福音書を懸吐漢韓(朝漢文)版で出版する。1885年(明治18年)にはアメリカ聖書協会より朝鮮語のハングル表記の『マルコによる福音書』が出版される。同じく1885年にG・W・ノックスとH・ルーミスの協力のもと、李樹廷が手紙を書いて、アメリカに宣教師の派遣を要請する。その、結果来日した2名のアメリカ人宣教師に自分が翻訳した聖書を元に朝鮮語を2カ月間教える。
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