受け入れと評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/11 05:07 UTC 版)
デンマークの主要な受け入れ拠点はドイツ国境の街パドボーにあり、コペンハーゲンまでデンマーク国内を移動する前に食料と医療手当てを受けた。スウェーデンのマルメまではフェリーで運ばれ、そこで行政局(Länsstyrelsen)と民間防衛(Civilförsvaret)が引き受けた。伝染病の蔓延を防ぐために到着した者の誰もが検疫所に収容された。これら検疫所は11,000床を備える23箇所の営舎にあり、そのほとんどはメルメフス・レン(Malmöhus län)にあった。ほとんどがノルウェー人とデンマーク人医師と看護婦(彼ら自身が避難者であった)で運営する移動医療センターが収容者の介護を行ったが、収容者の中には手遅れの者もおり110名がスウェーデン到着後に死亡した。死亡者の大部分はポーランド人であった。 スウェーデン赤十字によると合計15,345の収容者が救出され、内7,795名がスカンジナビア人で7,550名が他国の者であった。約1,500名のドイツ系スウェーデン人がスウェーデンへ移送された。合計2,000名の収容者がスカンジナビア人収容者のための余地を空けるためにノイエンガンメから他の収容所へ移送された。400名のフランス人収容者は、フロッセンブルクの収容所へ移送されることなくテレージエンシュタットに置き去りにされた。 「白バス」遠征隊は国家に対する多大な好感を築き上げたスウェーデンの勝利であり、デンマークを通って帰還する遠征隊は狂喜する群集に迎えられた。ノルウェー独立記念日(Norwegian Constitution Day)である5月17日にはフォルケ・ベルナドッテ伯はノルウェー皇太子と共にオスロの王宮のバルコニーに立っていた。戦争中、ストックホルムに駐在していた英国の外交官ペーター・テナント(Peter Tennant)は、こう記している。 "戦時中と戦後のスウェーデンによる人道主義への尽力は、戦時中にスウェーデンが行った日和見的な中立政策という不名誉を拭い去った。"
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