受け入れを拒否された原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 01:39 UTC 版)
「聖マウリティウスの殉教 (グレコの絵画)」の記事における「受け入れを拒否された原因」の解説
グレコが到着した当時のスペインはレコンキスタの勝利から1世紀も経たないままで、かつコロンブスによる「新世界」の発見、さらにカルロス1世による神聖ローマ帝国とスペインの権力の掌握など、スペインが急激に成長した時期であった。また、ヨーロッパ全体が宗教的に衰退したのに対し、スペインはカトリック以外を除外するという方法で宗教の権威も高まっていた。このことはトリエント公会議の結果として公布されたトリエント教令をスペインがいち早く取り入れたことからもうかがえる。当絵画は『聖衣剥奪』の絵画と共に、この教令に含まれていた「聖像に関する教令」に触れるとされたのである。フェリペ二世はグレコが多くの人間からその技量を認められていたことを知っていた上で、この絵画について聖人についての絵画の大きな目的と効果は人々がそれに向かって信仰心を起こされるように描かれるべきで、祈る気をなくさせるような絵画ではないとホセ・デ・シグエンサ(英語版)修道院長による証言がなされている。その一方でグレコはこのスペインの方針に従順でなく、また審美的価値より信仰の価値を重視することを読み違えたとされている。
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