取り消し含め2度の仮釈放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:37 UTC 版)
「熊本母娘殺害事件」の記事における「取り消し含め2度の仮釈放」の解説
第1の事件から14年後となる1976年(昭和51年)12月8日、受刑者Mは仮釈放を認められて熊本刑務所から仮出所した。無期懲役囚が仮出所する場合には身元引受人が必要となるが、その役割を引き受けたのはMの育ての親だった叔母夫婦で、Mは仮出所後に叔母夫婦の許へ身を寄せたが、Mは事件前と同様に仕事に就かず、朝から焼酎を飲みふけるような生活を続けていた。そのため叔母から「いい加減に仕事をしろ」と叱りつけられたが、Mはこれに逆上して叔母夫婦への家庭内暴力を振るうようになり、騒ぎを聞きつけて駆け付けた実兄に生卵を投げつけたこともあった。 Mは仮出所から約1年半の1978年(昭和53年)6月21日6時5分ごろ、叔母夫婦宅(飽託郡天明町海路口)で 叔母夫婦と口論になったことをきっかけに刺身包丁を振り回し、育ての親・身元引受人である夫婦を殺そうとした。叔母夫婦から急遽連絡を受けたMの実兄が熊本県警に110番通報し、叔母夫婦も熊本県警に被害届を出したため、Mは同月22日7時15分に熊本南警察署の警察官により逮捕された。Mは仮釈放を取り消され、熊本刑務所で再び服役生活を送ることとなったが、あろうことか叔母夫婦・実兄に対する逆恨みまで抱くようになった。 同事件から約6年となる1984年(昭和59年)2月1日、受刑者M(当時53歳)は再び仮釈放を認められ、2度目の仮出所を果たした。この時点では既に叔母夫婦・実兄ともMを見放していたが、福岡県北九州市の保護観察施設「湧水寮」がMの身元引受人となった。Mが仮出所後に暮らすようになった「湧水寮」では原則として、仮出所中の生活は施設側が管理する規定になっていたため、Mは施設から紹介された北九州市内の工事現場などで働き、収入・生活費などを施設に預けて生活していたが、その期間中に2度目の殺人を計画した。
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