反響の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 15:17 UTC 版)
「愛子内親王不登校騒動」の記事における「反響の広がり」の解説
3月8日、愛子内親王は母の皇太子妃雅子(当時)の同伴により6日ぶりに登校。ただし3月2日同様、4時間目のみで給食も食さなかった。翌9日も同様、10日は5時間目のみ、11日は4時間目途中のみと、母の皇太子妃雅子(当時)同伴のもと不規則ながら11日の授業最終日まで登校を続けた。3月16日も終業式には欠席したものの、ホームルームには出席した。 この間、愛子内親王の父の皇太子徳仁親王は、会見の翌3月6日にガーナへ出国し、15日に帰国した。 こうした一連の騒動について、当時の文部科学大臣の川端達夫(鳩山由紀夫内閣)は、3月9日「問題にどう対応し、改善させるかは学習院初等科が基本的にやること」と述べ、問題に介入しない姿勢を明らかにした。 同じく3月9日、野村東宮大夫は愛子内親王の欠席についての経緯や状況、今後の対応を愛子内親王の祖父母にあたる明仁天皇・美智子皇后(当時)に説明した。天皇・皇后は「いずれかが犠牲になる形で解決が図られることのないよう、十分に配慮を払うことが必要ではないかと思う」と話したという。天皇・皇后の意向が示されると、学習院に対しては逆に激励の電話が多数寄せられるようになった。 3月12日、定例記者会見にて野村は学習院の発表内容と食い違いがあったことに関し、「学習院と十分認識が共有できていなかった。心苦しく思います」と述べ、学習院側との認識が共有できない状態での発表だったことを認めた。 また3月19日の定例記者会見では、野村は皇太子夫妻のコメントを発表した。コメントでは、国民に心配をかけたことについて「心を痛めている」とした。『週刊朝日』はこのコメントに対し、「児童らに配慮した直接の言葉はなかった」という評価をした。
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