反帝国主義、反戦、反ファシズムの運動
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「ルネ・クルヴェル」の記事における「反帝国主義、反戦、反ファシズムの運動」の解説
クルヴェルは「シュルレアリスム第二宣言」以降ブルトンを支持し続ける一方、ブルトン以上に積極的に共産党の活動、特に反帝国主義、反戦・反ファシズムの運動に参加した。1931年5月から11月までポルト・ドレ(フランス語版)宮で植民地博覧会(フランス語版)が開催されたときに、共産党がこれに抗議して「植民地の真実」と題する「反帝国主義博覧会」を開催すると、これと連動して共産党員5人を中心とするシュルレアリストが「植民地博覧会へ行ってはならない」と訴える小冊子を配布した。一方、1932年3月に国際革命作家同盟のフランス支部「革命作家芸術家協会」が結成され、8月にはにバルビュスとロマン・ロランが呼びかけ、アムステルダムで開催された反帝国主義戦争国際会議、およびこの会議に参加した知識人がパリのサル・プレイエルを拠点とする反ファシズム労働者運動に合流して結成した反戦・反ファシズムのアムステルダム=プレイエル運動(フランス語版)へとつながっていった。ここでも中心的な役割を果たしたのは共産党であったが、一方で、クルヴェル、シャール、ブルトン、エリュアール、ペレは、「反戦のための動員は平和ではない」とするパンフレットを配布し、ナチズムの脅威を前にしてもなお、非戦を貫こうとする平和主義者を批判した。さらに、1933年1月30日にヒトラー内閣が成立すると、革命作家芸術家協会が、共産主義インターナショナルの指示を受けて、これに抗議する運動を起こした。クルヴェルはエリュアールとともにこの運動に参加し、3月21日の反ナチズムを訴えるデモを支持した。
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