参戦の理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/24 08:23 UTC 版)
ヴァンダーヴェル社の創業者トニー・ヴァンダーヴェルは、アメリカ人技術者が開発したベアリングを「シンウォール(Thinwall:「薄い壁」)」と名付け、イギリス国内で特許を取得した。この技術は内燃機関の高回転化に貢献し、第二次世界大戦中の戦闘機のエンジンなどに使われ、ヴァンダーベル社の事業を成功させた。 レース愛好家であるヴァンダーヴェルは、フェラーリの市販スポーツカーの顧客としてエンツォ・フェラーリと交際していた。また、スクーデリア・フェラーリのF1マシン、フェラーリ・375F1を譲り受け、「シンウォール・スペシャル」と名付けて1951年のF1世界選手権や国内レースに出走させていた。フェラーリ初の自製エンジン、ティーポ125にシンウォール・ベアリングが使われるなど、両者の関係は親密なものであった。 ところが、その関係にひびが入る。ある日、ヴァンダーヴェルは購入車の故障のクレームを言いにフェラーリの本拠地モデナを訪れたが、多忙を理由に3時間半も待ちぼうけを食わされた。ヴァンダーヴェルはエンツォのあしらいに立腹し、レースで見返すことを決意する。後援していたBRMのプロジェクトが難航していたこともあり、自らコンストラクターを設立してF1に参戦することとなった。 ちなみに、フェラーリへの不満が動機という点では、後のランボルギーニのスポーツカー開発も同類である(この有名なランボルギーニとのエピソードについては、後年作り話だったことが判明。そういう事実は一切無かったとのこと)。エンツォは顧客をぞんざいに扱う性癖があり、その不遜さが幾つもの因縁を生み出している。
※この「参戦の理由」の解説は、「ヴァンウォール」の解説の一部です。
「参戦の理由」を含む「ヴァンウォール」の記事については、「ヴァンウォール」の概要を参照ください。
- 参戦の理由のページへのリンク