南京時代
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1941年の12月に太平洋戦争が始まったばかりの1942年(昭和17年)3月末で東大を退職し、興亜院から派遣され南京政府の行政院文物保管委員会研究部主任研究員となり、単身南京へ赴任した。昭和14年秋に行ったことのある所で勝手も知っており、全て新しい事業ということもあって設備などもこれからという状態であったため、自身の持っていた標本・参考文献等すべて携行したが、のちにこれらの貴重な資料はすべて失われた。昭和18年(1943年)には大塚彌之助・鈴木好一とともに渡支前から準備していた『東亜産現生化石貝類の研究 第1集』を単行本として出版した。同年8月には中央大学教授となり学生の指導にも当たり、すべて昭和20年(1945年)8月の終戦の時まで続いた。南京では標本の蒐集と自己の研究資料整備を計っていたと考えられるが、資料は全て現地に止めおかれたので実情はよく判っていない。
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