南アジアルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:25 UTC 版)
このルートは「ヒマラヤルート」や中国では「蔵印路」「南西印路」などと呼ばれ、名称も定まっていない。これまで中国と南アジア間でもチベットを介しヒマラヤ山脈を抜けての交易があったことは、中国側の文献資料や個別の遺跡の出土遺物から確認されていたが、その点と点を繋ぐ交易路の痕跡が発掘調査や人工衛星測量などから明らかになってきた。その一方で開発の波が押し寄せ、遺跡の破壊が深刻化していることもあり、インド・ネパール・ブータンの交易路を「シルクロード南アジアルート」としてユネスコが直接顕彰と保護に乗り出すことになった。 ベンガル地方の宝石や珊瑚が絹と交換され、後にインドに養蚕・絹生産技術がこのルートを経て中国から伝播したことは、限られた桑の自生環境と重複していることから推測されている。インドでは英領時代に綿糸生産が奨励され、ヒマラヤ山間部では羊毛生産が主であり、伝統的にシルクシャンタン(インドシルク)の生産が行われてきたのはインド北東部(英語版)(7姉妹州)のような辺境域であるため検証作業が困難になる。また、インドの養蚕は毎回森林から捕ってくる野蚕で、桑も中国や日本の品種とは全く違い、蚕を煮沸しないアヒンサー(不殺生)であることから絹としての質感が異なり、従来のシルクロードを行きかった絹とは一線を画したものであるため、シルクロードとして一括りにしてよいものかという疑問も呈されており、このような根本的な議論から始めるとしている。
※この「南アジアルート」の解説は、「シルクロード」の解説の一部です。
「南アジアルート」を含む「シルクロード」の記事については、「シルクロード」の概要を参照ください。
- 南アジアルートのページへのリンク