勝龍寺城の戦いとは? わかりやすく解説

勝竜寺城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/15 16:50 UTC 版)

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勝竜寺城の戦い
戦争
年月日永禄11年(1568年9月28日9月29日
場所:勝竜寺城
結果織田信長の勝利
交戦勢力
織田信長 三好三人衆
指導者・指揮官
織田信長
柴田勝家
蜂屋頼隆
森可成
坂井政尚
岩成友通
戦力
不明 不明
損害
不明 首級50、勝竜寺城開城

勝竜寺城の戦い (しょうりゅうじじょうのたたかい) とは戦国時代山城国勝竜寺城(現京都府長岡京市勝竜寺付近)において織田信長と三好三人衆の間で行われた戦いである。

発生経緯

永禄8年(1565年)、室町幕府第13代将軍足利義輝三好三人衆松永久秀と対立し、永禄の変において二条御所で横死した。これを受けて義輝の弟義昭は当時、門跡となっていた一乗院を脱し、朝倉義景らを経て織田信長を頼ることになった。永禄11年(1568年)秋、信長はこの義昭を奉じて上洛を開始し、観音寺城の戦いで三好三人衆に与した六角氏を退け、京都に迫った。

一方、三好三人衆は松永久秀と対立を深めており、統制された行動が出来ない状況にあり、信長はさしたる抵抗もないまま、9月26日に入京し、陣を東山の東福寺に置くと、9月28日には山城国南部から摂津国に至る諸城に拠る三好三人衆の軍勢を討とうと出陣した。この際、三好三人衆の一人、岩成友通は京都の南の勝竜寺城に拠っており、これに対して信長が勝竜寺城に攻撃した結果、本戦闘が発生した。

戦闘経過

信長は出陣するにあたり、尾張衆の柴田勝家森可成坂井政尚、美濃衆の蜂屋頼隆に先陣を命じており、この4人が9月28日に勝竜寺城に攻めかかった。岩成友通も足軽隊を出し、城外でこれに応戦したものの敗れており、柴田らは首級50を挙げている。この際、信長はまだ出陣しておらず、柴田らが挙げた首級は東福寺まで送られて実検されている。

9月29日、岩成は篭城していたが、柴田らが攻城を開始したため、支えきれずに開城した。なお、岩成友通は翌年の本圀寺の変では三好勢の一手として出陣しており、天正元年(1573年)まで信長と戦い続けていることから、この時は織田氏には降らず摂津国に落ちたものと考えられる。

戦闘の影響

勝竜寺城が落ちたことで、織田勢は京街道を西進することが可能となり、信長は東福寺から山崎にまで進出している。また、この戦闘の後、織田勢は京街道を西進し、芥川城の戦いが発生している。


勝龍寺城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 05:55 UTC 版)

勝竜寺城」の記事における「勝龍寺城の戦い」の解説

観音寺城の戦い勝利した織田信長は、足利義昭奉じて上洛する2日前の永禄11年1568年9月26日柴田勝家蜂屋頼隆森可成坂井政尚ら4人の家臣先陣命じ桂川渡河三好三人衆岩成友通が守る勝龍寺城攻撃させた。 岩成友通足軽衆を中心に応戦したが、織田軍は馬廻り衆を乗り入れ戦い有利に進めて首級50余りあげ、上洛果たしていた信長陣所である東福寺届けたとされる。 自ら首改め済ませた信長は、上洛果たした9月29日全軍出陣命じ信長自身5万兵を率いて勝龍寺城攻略向かった畿内広範囲勢力下に置いていた三好三人衆であったが、織田方の軍を前に降伏開城する。これは観音寺城の戦い近江守護であった六角義賢義治父子織田の上洛を防ぐと予想していたが、一日経たずに観音寺城落城したことが影響していたと考えられている。 その後信長芥川山城越水城高屋城攻城降伏させていき、三人衆阿波追放し畿内から掃討することになる。

※この「勝龍寺城の戦い」の解説は、「勝竜寺城」の解説の一部です。
「勝龍寺城の戦い」を含む「勝竜寺城」の記事については、「勝竜寺城」の概要を参照ください。

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