動吸振器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:04 UTC 版)

動吸振器(どうきゅうしんき、dynamic vibration absorber、DVA)またはダイナミックダンパ(dynamic damper)とは、振動する対象物に、補助的な質量体をばねなどを介して付加することにより、対象物の固有振動数周辺での共振現象を抑制する装置のことである[1]。端的には、補助質量体が対象物の振動を肩代わりして振動することで、対象物が振動しないようにする装置である[2]。
振動抑制技術のうち最も基本的なものの一つであり、機械をはじめ建築、土木などの分野でも用いられる。同調質量ダンパ(チューンドマスダンパ、Tuned Mass Damper、TMD)や質量ダンパ(マスダンパ、Mass Damper)などとも呼ばれる。
1883年にP・ワッツ(P. Watts)に考案され[3]、1909年にハーマン・フラーム(Hermann Frahm)により最初に特許出願された[4]。
概要
機械や建造物に振動が発生するとき、多くの場合で振動が害をなすので振動を抑制したい。特に、振動を発生させる力の振動数と対象物の固有振動数が近い場合、共振が発生して大きな振動が発生する(強制振動なども参照)。これを避けるためには対象物の固有振動数を変更するなどの適切な振動特性を対象物に与える必要がある。しかし実際の機械や建造物の設計では、種々の制約条件により対象物自体の特性を都合良く変更することができないことも多い。このようなときに、対象物に補助的な質量体を取り付け、この質量体に対象物の振動を吸収させて代わりに振動させることで対象物の振動抑制を図るのが動吸振器である。建造物における設計思想の「耐震」・「制振」・「免震」の内、「制振」に分類される装置に該当する[5]。
基礎理論
非減衰動吸振器
最も単純な減衰の無い2自由度系の線形ばね質量系について考える。ばねkmで支えられた質量mmからなる主系(制振対象)に、ばねkaと質量maからなる従系(動吸振器)が取り付けられたモデルが、動吸振器の最も単純なモデルとなる。このモデルでは、2つの質量は質点(ある一点に質量が集中している)とし、ばねの重さは考えない。質点mm、maの変位(ばねkm、kaがともにつり合っている位置からの移動量)をそれぞれxm、xaと表すこととし、時刻をtとおくと、主系が力振幅f0、角振動数Ωの調和振動形の加振力を受けるとき、運動方程式は以下のようになる[6]。
ここで、Xm/xstの式に注目すると、ωa = Ωのとき、Xm/xst = 0となる。すなわち加振力の振動数Ωが既知のとき、動吸振器の単体固有角振動数ωaをΩと一致させるように設計することで、主系の振動を完全に消失させることができる[6]。このような手法を同調(tuning)とよぶ[6]。このように補助質量体に主系の振動を吸収させるが動吸振器の基本原理である。このように、連結された振動系で1つの振動系の振動が極小になることを反共振とよぶ。
また、ωa = Ωのときの従系質量体の振動変位の解[6]は、
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主系ばねのみ、従系ばね・減衰有りのモデル、主系が加振力f(t)を受ける場合。図中において、kはばね定数、cは減衰定数、mは質量、xはばねの自然長(つり合いの位置)からの変位、tは時刻をそれぞれ表す変数、m、aは主系、従系を表す添え字である。
減衰の無いモデルの動吸振器では、加振力の振動数と動吸振器の単体固有角振動数が一致または狭い範囲で近くないと効果を発揮できない。減衰のある動吸振器では、比較的広い範囲に加振力の振動数が変動する場合でも、主系の振動を吸収することが可能となる。1909年にフラームにより考案された動吸振器は減衰が無い単純なものであった[4]。その後に研究が進み、1928年、J・オーモンドロイド(J. Ormondroyd)とデン・ハートッグ(en:Jacob Pieter Den Hartog)により減衰付きの動吸振器の基礎理論が与えられた[4]。
ばねkmで支えられた質量mmからなる主系(制振対象)に、ばねka、減衰器caと質量maからなる従系(動吸振器)が取り付けられたモデルを考える。減衰器がないモデルと同様に、各質点の変位をx、時刻をtとおくと、この運動方程式は以下のようになる[9]。
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今、従系(動吸振器)の減衰特性を変化させていくことにより、主系の変位倍率がそれに連れてどのように変化するかに注目する。主系と従系の質量比μ、主系と従系の単体固有角振動数比αを固定し、従系の減衰比ζaを変化させて変位倍率Xm/xstの変化を見ると、ある2つの主系単体固有角振動数と加振力振動数の比βの値で、ζaに無関係にXm/xstの値が定まる2つの点(P、Q)がある。これらの点を定点(fixed point)と呼ぶ[9]。βの代わりにΩ/ωaの値で変化を見たときも同様である[10]。
減衰の無い動吸振器では、加振力の振動数と動吸振器の単体固有角振動数が一致または狭い範囲で近くないと効果を発揮できないので、減衰を付与することで幅広い範囲で振動(振幅倍率)を抑えるようにしたい。上記の定点が存在する性質を利用して動吸振器特性の最適化を図るのが、動吸振器の定点理論である。定点理論は、1932年のエーリッヒ・ハンカム (Erich Hahnkamm)の研究に始まり、1946年にJ・E・ブロック(J. E. Brock)によってほぼ完成された[4]。振幅倍率の共振曲線が全体的に低く抑えられるような曲線になればよいので、次の2つの条件を満たせば、そのような曲線が得られることが予想される[10]。
- 共振曲線で、2つの定点が同じ値を取る。
- 共振曲線で、2つの定点が極大値を取る。
後者の操作は定点を共振点と一致させることと同義でもある。具体的には、主系と従系の質量比μより以下のような最適値が求まる[12]。
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非常に不規則な励振を受けるなどの場合は、特定の励振周波数近辺よりも、すべての周波数域で振動が最少となるように設計した方がよい[12]。このような設計手法として、最小分散規範と呼ばれる最適化法がある。最小分散規範は、1963年にステファン・H・クランドル(Stephen H. Crandall)とウィリアム・D・マーク(William D. Mark)により発表された [17]。
最小分散規範では、伝達される振動エネルギーに注目して、これが最少となるように設計する。すなわち、共振曲線を積分して得られる面積二乗値が最少となるようにする[12]。具体的には、主系の基礎部がホワイトノイズランダム振動を行う場合は、主系と従系の質量比μより以下のような最適値が求まる[18]。
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主系、従系ともにばね・減衰有りのモデル、主系が加振力を受ける場合主系、従系ともにばね・減衰有りのモデル、基礎が振動変位する場合
より一般的な、主系にも減衰がある場合を考える。ばねkm、減衰器cmで基礎に支えられた質量mmからなる主系(制振対象)に、ばねka、減衰器caと質量maからなる従系(動吸振器)が取り付けられたモデルの運動方程式は、主系に対して力励振f(t)が加わる場合と基礎に対して変位励振x0(t)が発生する場合、それぞれで以下のようになる。
主系に対して力励振f(t)が加わる場合:
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ミレニアム・ブリッジ (ロンドン)に設置されている同調質量ダンパ
以下に、派生形も含めた動吸振器の種類を示す。ここでは、補助質量体により対象物の振動を抑制・吸収する装置を動吸振器の定義としているが、ばねのような復元力要素を持つもののみを動吸振器に分ける場合もある[26]。
同調質量ダンパ
固体質量体を用いた最も基本的な動吸振器で、上記で基本原理を説明しているものと同じである。動吸振器と同義の場合もあるが、同調質量ダンパ、チューンドマスダンパ (en:Tuned mass damper、TMD) 、質量ダンパ、マスダンパ (Mass Damper) などと呼ばれる。特に土木・建築分野ではこちらの名称で呼ばれる[27]。ばねの代わりに振り子や倒立振子機構にすることで復元力を得るもの、従系質量体を1つと限らずに複数備えるもの、振動方向が上下あるいは水平に対応するものなどがある。
建築分野では、超高層建築物に対して風による揺れが問題になることから制振装置として採用される[28]。世界で最初期に同調質量ダンパが導入されたのは、アメリカのシティグループ・センターとジョン・ハンコック・タワーで、どちらも構造エンジニアのウィリアム・ルメジャー (en:William LeMessurier) の設計によるものである[29]。 2007年現在において、世界で最重量の同調質量ダンパは、台湾の台北101に設置されている730tonの振り子型同調質量ダンパである[30]。 日本では、千葉ポートタワーのものが高層建築物に対する初の採用である[31]。
自動車にも採用されており、2006年のフォーミュラ1では、エアロダイナミクスの効果を高めるために車体の前端にマスダンパを装備して車体の安定性を向上させたフォーミュラ1カーが使用された[32]。ルノー・R26なども参照。
同調液体ダンパ(スロッシングダンパ)
同調液体ダンパ、あるいはスロッシングダンパ(tuned sloshing damper)とは、液体のスロッシング現象を利用して振動を抑制するもので、建物などの制振に利用される。スロッシングの固有振動数と建物の固有振動数を同調させることで効果を発揮する。スロッシングの固有振動数の固有振動数は、液体を入れる水槽の大きさ、水深などにより決定される。日本では、神奈川県横浜市の新横浜プリンスホテル、北海道函館市の五稜郭タワーなどで利用されている[33]。
フードダンパ
フードダンパ(houdaille damper, houde damper)とは、質量と減衰器からなる動吸振器で、通常のものからばね要素を無くした構造が特徴である[34]。ばねが無く固有振動数が存在しないため同調の必要がない利点がある。ただし、同調型の動吸振器よりも振動抑制の効果は小さい[35]。回転機械のねじり振動の防止[34]、プラント配管の振動抑制[35]などに使用されている[36]。元々は、下記のランチェスタダンパと同様、往復内燃機関クランクシャフト用のねじり振動低減用として考案されたものである[36]。
ランチェスターダンパ(摩擦ダンパ)
ランチェスターダンパ(Lanchester damper)とは、フードダンパにおける減衰要素を摩擦要素で置き換えたもの[37]。元々はフレデリック・ランチェスターにより往復内燃機関のクランクシャフト用として発明されたもので、ランチェスターダンパとはそのような構造・用途に限って意味する場合もある[38]。そのため単に摩擦ダンパなどとも呼ぶ[39][40]。
インパクトダンパ(衝撃ダンパ)
インパクトダンパ(impact damper)とは、制振対象に衝突体を入れた容器を取り付け、さらに容器内の振動方向に隙間を設けることで、対象物振動時に衝突が発生して対象物の振動を抑制するものである[41][26]。原理的には、対象物の運動量を衝突により補助質量体へ移動させて対象物の運動を抑制し、移った補助質量体の運動量は摩擦などで散逸させる仕組みを取る[42]。補助質量体である衝突体には多数の球体など利用する場合が多い[40]。
動力付き自動車模型のミニ四駆では、コースアップダウンセクション通過によるジャンプから着地時の車体の上下動安定を目的とした「マスダンパー」と呼ばれる改造部品がある[43]。構造的には補助質量体との衝突を原理とするインパクトダンパに近い。
アクティブ動吸振器
一般的に指す動吸振器とは受動制振(パッシブ)による振動抑制機構である。すなわち、質量、ばね、減衰器などを取り付けるだけで、制振のために特別にエネルギを外部から入力するようなことは行わない機構である[44]。受動制振型はコスト的メリットがある一方、制振対象の振動特性が明らかでない場合や変動する場合に十分な振動抑制が発揮できない[44]。そのため、ばね、減衰器の代わりにアクチュエータなどを利用して直接的に振動抑制力を与えるのが能動制振型で[1]、アクティブ動吸振器、アクティブマスダンパ(active mass damper, AMD)などとよぶ。例えば、質量体を直接アクチュエータで押し引きして建物の振動抑制を図るものなどがある[45]。
アクティブ式の他に、アクチュエータは使用しない代わりに応答状態に応じて動吸振器の減衰特性を変化させるセミアクティブ式や、アクチュエータとばね・ダンパを併用するハイブリッド式などもある[46][1]。
脚注
- ^ a b c 機械工学辞典 p.921
- ^ 振動工学 p.142
- ^ a b Liu 2010 p.120
- ^ a b c d e 浅見1995 p.915
- ^ “耐震構造・制振構造・免震構造”. 日建設計. 2014年5月5日閲覧。
- ^ a b c d 機械振動学 p.86
- ^ 振動工学 p.143
- ^ 機械振動学 p.87
- ^ a b c 機械振動学 p.89
- ^ a b c 振動のダンピング技術 p.53
- ^ a b 振動工学 p.150
- ^ a b c 振動のダンピング技術 p.54
- ^ 浅見1993 p.2964
- ^ 機械振動学 p.91
- ^ 西原1997 p.3443
- ^ 西原1997 p.3441
- ^ Stephen H. Crandall; William D. Mark (1963). Random vibration in mechanical systems. New York : Academic Press. ISBN 9780121967505
- ^ a b 振動のダンピング技術 p.55
- ^ 浅見1993 p.2962
- ^ Liu 2010 p.122
- ^ a b 浅見1995 p.916
- ^ a b 浅見1993 p.2965
- ^ a b 浅見1995 p.919
- ^ 浅見1993 p.2967
- ^ 浅見1995 p.920
- ^ a b 制振工学ハンドブック p.75
- ^ 動吸振器とその応用 p.1
- ^ 動吸振器とその応用 p.222
- ^ Introduction to Structural Motion Control pp.222-223
- ^ Ioannis Kourakis (2007年). “Structural systems and tuned mass dampers of super-tall buildings : case study of Taipei 101”. Massachusetts Institute of Technology. p. 43. 2014年5月11日閲覧。
- ^ “作品:千葉ポートタワー”. 日建設計. 2014年5月6日閲覧。
- ^ “Renault R26 - mass damper system”. Formula One Management Limited. 2014年5月13日閲覧。
- ^ “スーパー・スロッシング・ダンパー製品紹介ページ”. 清水建設. 2014年5月5日閲覧。
- ^ a b 機械工学辞典 p.1125
- ^ a b 振動のダンピング技術 p.219
- ^ a b 振動工学 p.152
- ^ 機械工学辞典 p.1350
- ^ 機械振動学 p.95
- ^ 機械振動学 p.93
- ^ a b 動吸振器とその応用 p.5
- ^ 機械工学辞典 p.66
- ^ 制振工学ハンドブック p.81
- ^ “製品情報:GP.392 マスダンパーセット”. タミヤ. 2014年5月13日閲覧。
- ^ a b 機械振動学 p.82
- ^ “TMD/AMDによる建物の振動対策”. 竹中工務店. 2014年5月5日閲覧。
- ^ “アクティブ制振技術(ハイブリッドマスダンパー:HMD)”. 前田建設. 2014年5月5日閲覧。
参考文献
- 日本機械学会 編 『機械工学辞典』(第2版)丸善、2007年1月20日。 ISBN 978-4-88898-083-8。
- 制振工学ハンドブック編集委員会 編 『制振工学ハンドブック』コロナ社、2008年5月13日。 ISBN 978-4-339-04585-7。
- 日本機械学会 編 『振動のダンピング技術』(第1版)養賢堂、1998年9月1日。 ISBN 4-8425-9816-6。
- 瀬戸一登 『動吸振器とその応用』(初版)コロナ社、2010年8月20日。 ISBN 978-4-339-04607-6。
- 末岡淳男・金光陽一・近藤孝広 『機械振動学』(初版)朝倉書店、2002年6月20日。 ISBN 4-254-23706-5。
- 前澤成一郎 『振動工学』(第1版)森北出版、1973年11月20日。
- Jerome J. Connor (2003). Introduction to Structural Motion Control (1st ed.). Prentice Hall. ISBN 0-13-009138-3
- 西原修、松久寛「動吸振器の最大振幅倍率最小化設計 : 代数的な厳密解の導出」『日本機械学会論文集 C編』第63巻第614号、1997年10月25日、 3438-3445頁、 ISSN 03875024、 NAID 130004232443。
- 浅見敏彦、桃瀬一成, 細川[ヨシ]延「主系の減衰を考慮した動吸振器の設計式について : 最小分散規範に基づく設計法」『日本機械学会論文集C編』第59巻第566号、1993年10月25日、 2962-2967頁、 ISSN 03875024、 NAID 110002380702。
- 浅見敏彦、細川[ヨシ]延「主系の減衰を考慮した動吸振器の設計式について : 第2報,定点理論に基づく設計法」『日本機械学会論文集C編』第61巻第583号、1995年3月25日、 915-921頁、 ISSN 03875024、 NAID 130004231037。
- Kefu Liu; Gianmarc Coppola (2010). “Optimal design of damped dynamic vibration absorber for damped primary systems” (pdf). Trans. Can. Soc. Mech. Eng. 34 (1): 120-135 .
関連項目
外部リンク
- 『動吸振器』 - 機械工学事典(日本機械学会)
- アメリカ合衆国特許第 989,958号(フラームによる1909年の特許)
- 屋上の水槽によるスロッシングダンパーの模式アニメーション(アイディールブレーン社スーパー・スロッシング・ダンパー製品紹介ページ)
- Tuned Mass Damper - YouTube(Moog CSA Engineering社による同調質量ダンパ説明動画)
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