創業者、フェルディナント・アドルフ・ランゲ
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ドイツ・ザクセン王国のドレスデンで生まれたフェルディナント・アドルフ・ランゲ(Ferdinand Adolph Lange 、1815年2月18日 - 1875年12月3日、以下アドルフ・ランゲ)は1830年に後に宮廷時計師となる著名な時計師ヨハン・フリードリヒ・グートケス(Johann Friedrich Gutkaes 、1785年-1845年8月8日)に弟子入りし、時計師としての修行を始めた。1837年からフランス、スイス、イギリスなどに3年間時計製造の手法を学び、現在『旅の記録』として知られる手帳を残した。アドルフ・ランゲはこの修行の旅の結論として、今後の時計製造においては、精密な計測が可能な測定器具を駆使し、合理的で緻密な製造方法を採るべきであると考えた。1840年ドイツに帰国し、ガトガスの工房に戻った。 この頃、過去に銀採掘で栄えたグラスヒュッテ(英語版)(現ザクセン州)が資源枯渇などで貧困に苦しんでいたため、ザクセン王室は町おこしのアイデアを募り、アドルフ・ランゲは「時計製造業を中心とした町の活性化」を提案、採用された。1845年に多額の融資を受けて15人の見習い工とともにドレスデンからグラスヒュッテに移住し、独立工房を開設。時計製造業において初めてとなるメートル法の採用、伝達効率の高い歯数駆動機構、ホイール式旋盤の導入など高級精密時計開発の近代化を進めた。やがて育った時計師がゼンマイや歯車、ケースといった部品専門工房として独立、グラスヒュッテはアドルフ・ランゲの工房を頂点とする精密時計産業地帯に変貌した。
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