創建当初の神は天照大神のみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 15:42 UTC 版)
「吉志部神社」の記事における「創建当初の神は天照大神のみ」の解説
社によると「創建当時は豊受大神を除く七柱をお祀りし、七社明神と呼ばれていたのですが、正徳3(1713)年の正遷宮の際に豊受大神を加座した。」とある。しかしながら八幡大神(応神天皇)は崇神天皇の5代後の子孫にあたり創建時には存在しない。住吉大神は応神天皇の母、神功皇后との繋がりが深く住吉神社(大阪府)が神功皇后の御代に創建されている。このことから住吉大神は八幡大神と共に後世に合祀したものであろう。素盞嗚大神は嵯峨天皇が大同5(810)年正月に「素戔嗚尊は即ち皇国の本主なり、故に日本の総社と崇め給いしなり」として「日本総社」の号を奉られて以降、全国で奉祀される様になった。蛭子大神の信奉は平安時代末期に流行し、全国のえびす神社の総本山である西宮えびす神社(兵庫県西宮市)もこの頃に創建されている。稲荷大神は秦氏の信奉する神であり、秦氏は応神天皇の御代に渡来し帰化した。その秦氏が和銅年間(708-715)に創建した伏見稲荷大社は全国の稲荷神社の総本山である。春日大神は藤原氏の氏神であり、藤原氏は大化の改新(645)以降に栄えた。平安時代初期、藤原氏は淀川北岸一帯を自家の荘園としたため、この地域に古くからあった多くの神社は藤原氏の氏神が合祀された。この結果現在では淀川北岸のほとんどの神社が春日神を祀っている。吹田地域は元々物部氏の一族である吹田氏が開墾、所有しており、吉志部神社の春日神もこの一帯が藤原氏の荘園下となった時に合祀したものであろう。以上創建当時より奉祀していたとする七柱(七社明神)の内、天照大神を除く六柱はすべて後世の神であることから、吉志部神社の創建当初の祭神は天照大神のみである。
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