創建年について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:26 UTC 版)
「瑞雲院 (矢板市)」の記事における「創建年について」の解説
開山の年について、文禄4年(1595年)とする伝承があるが、瑞雲院の開山となった照嶺呑鏡が二代目住職を務めていた鏡山寺の開山が慶長2年(1597年)であり、時系列的に成立しない。一方で、瑞雲院が創建された地には、元々、曲渕薬師堂という堂が建てられており、これの創建が文禄4年と伝わっているため、矢板市が刊行する矢板市史の年表の文禄4年の項には、「瑞雲院建つというも曲渕薬師堂建立か」と記しており、薬師堂建立と瑞雲院の創建が混同されていることを示唆している。 他方、岡本氏の系図を見ると、岡本保真の事績の記述に、具体的な創建年は記されていないが、瑞雲院の創建を江戸幕府二代将軍徳川秀忠公との謁見(但し、謁見当時は将軍職ではない)ののちのこととして記している。保真が秀忠に謁見したのは慶長4年(1599年)のため、瑞雲院の開山は慶長4年から、開山の照嶺呑鏡が没した慶長9年(1604年)3月27日以前の間に行われたことは確実である。また、保真と保真の兄である岡本義保が父である義通の一周忌の供養を命日である11月1日合わせて高野山で行っており、これらのことから、文禄4年の開山の伝承は、義通の一周忌である慶長4年の誤りとし、瑞雲院は、慶長4年の義通の命日である11月1日のころに義通の隠居屋敷を利用して創建されたとする見解が有力となっている。
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