創建から幕末までとは? わかりやすく解説

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創建から幕末まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:44 UTC 版)

泰勝寺跡」の記事における「創建から幕末まで」の解説

泰勝寺は、小倉藩主・細川忠興三斎)が父・幽斎の追善のため、慶長11年1611年3月小倉に泰勝院を建立したのがその始まりで、同院は後に熊本藩主加藤家改易され、寛永9年1632年)に細川家が同藩へ転封されるに合わせて八代城隠居した三斎により小倉から八代移された。 一方熊本城になった忠利も、寛永14年1636年)に立田山山麓祖父・幽斎と祖母麝香の方および母・玉子祀る寺を建立し、これも泰勝院と命名した。忠利死後藩主の座を継いだ光尚は京都妙心寺より大淵弘和尚を招いて泰勝院住職とし、正保3年1646年)には、玉子の隣に三斎の墓を営んだ。光尚はその後八代の泰勝院を廃する立田山の泰勝院に併合して瑞雲泰勝寺」と改め、さらに綱利の代に山号を「龍田山」に改称した。 なお、忠利以降9代・治年までの藩主花岡山山麓建立された妙解寺に葬られたが、10代・斉茲や11代・斉13代・韶邦、最後藩主・護久は再び泰勝寺に墓が建てられている。

※この「創建から幕末まで」の解説は、「泰勝寺跡」の解説の一部です。
「創建から幕末まで」を含む「泰勝寺跡」の記事については、「泰勝寺跡」の概要を参照ください。

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